感情の揺れ方

それでも笑っていたい

週間日記(2020/4/6~4/12)

 4/6(月):月曜日。朝ご飯にはクロワッサンを食べた。美味しいクロワッサンというのはこう、良い。普遍的な良さがある。録画していた「ロンドンハーツ」を見ながらクロワッサンを食べ、大量のコーヒーを飲む。ミルクボーイが好きだ。漫才はもちろん、駒場と内海のお互いを笑う雰囲気が好きだ。ひどい目にあっている内海を見てゲラゲラ笑っている内海には、すこしバナナマンの設楽さんに似た雰囲気がある。確実に太っている相方に対して真顔で「いや太ってないよ」と言ってフォローする、あの感じも似ている。アンタッチャブル、そして千鳥とコンビ間の雰囲気が良いお笑い芸人たちが雑なドッキリにかかっているを見て笑う。笑うのは大事だ。こういう状態だからこそ。どうぶつの森だって大事だ。島を開拓しなければならない。ここだけ切り取るとTOKIOとやっていることは変わらない。蝶々があまり得意ではないのだけれど、博物館の蝶々用の温室に入ったら文字通り蝶々たちが乱舞していて、普通に「ヒェッ」という声が出た。怖いよ。そういうのはよくないと思う。見終わって、家のことをする。そうじとか。「バナナムーン」を聞きながら。ラジオなのにずっとバナナマンの二人が真顔対決をするという最高に意味の分からない回で、聞いてもまったく見えてこなかった。どうなってるんだ。その後は近所の書店に行って、ジャンプを買う。不要不急の外出に当たるのだろうか。『ヒルナンデス』がテレワークになっているのを見てから、午後はずっと作業を進めた。今の自分に出来ることをする。また大量のコーヒーを飲みながら。カフェインレスをうたうエナジードリンクを見て「じゃあ離脱症状で手が震えることもないじゃん!」と思って飲んだ直後に3時間くらい昼寝をしたことがある。個人の感想です。エナジードリンクよりコーヒーを大量に飲む方が体には合っているような気がする。カフェインの量で考えると、玉露を飲む方がいいのかもしれないけれど。

 

 4/7(火):本当なら今日は、梅田芸術劇場葵わかな主演の『アナスタシア』を観ているはずだった。それがまぁこういう情勢なので、休演になった。おそらく大阪公演はすべて休演になるだろう。あれだけのメンバーを集めたカンパニーだから、きっと再演には何年もかかるはずで、そうなるともう文字通り幻の作品になってしまう。梅田芸術劇場宝塚歌劇団が同じ年にそれぞれ同じ作品を打つということは少なくて、そこからも2020年のミュージカルシーンはそのセンターに『アナスタシア』がいますという作品だったはずなのだけれど…。考えるのはしんどい。深く考えれば考えるほど。夜に非常事態宣言が出た。怒りを怒りのまま発散しないようにしている。ストレスを怒りに変えない、と言った方が厳密かもしれない。匿名のインターネットは基本的に「怒りを発散するための場所」だと思う。ただ、SNSが発達してインターネット上の人格とオフラインの人格が限りなく密接になった今、怒りの総量がどんどん増えているように思う。個人的にこのコロナ騒動で嫌なのは、オンラインでずっと仲良くしていた人の見たくない部分が見えるようになったこと。そこさえ知らなければずっと同じ関係でいられたのになと思ってしまう。窮地は人を変えてしまう。今日はものすごく食べた。朝から晩まで、三食しっかりデザートまで食べた。こんなに白米を食べたのは久しぶりだった。やけ食い。

 

  4/8(水):死にそうです。率直に言って、死にそうです。東宝演劇部が、帝国劇場とシアタークリエ、日生劇場での4・5月公演およびそれに付随する全国ツアー公演の中止を発表しました。演目は『エリザベート』、『ミス・サイゴン』、『モダン・ミリー』ジャニーズ銀座2020』、『ニュージーズ』、『ホイッスル・ダウン・ザ・ウインド』。泣きそうです。実際泣いています。こんなにも呑み込めないことがあるのか、という。折からの疫病で、こんなことになるのかと。葵わかな主演の『アナスタシア』、宝塚退団後初の本格的なミュージカルの舞台に妃海風がカムバックする『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』、宙組のトップコンビとして活躍した朝夏まなと・実咲凜音が共演する『モダン・ミリー』、京本大我と咲妃みゆを小池修一郎が演出する『ニュージーズ』、高畑充希・仙名彩世・上原理生の『ミス・サイゴン』。私の観るはずだった公演がすべて吹き飛びました。おそらく、これらの演目が再演されるのは、そもそも再演すら難しいとは思いますが、出来たとしても数年先でしょう。キャスティングの問題もあります。言葉がありません。朝起きて「テレビ千鳥」を見たことも、エントリーを書いたことも、あらゆることを忘れてしまいました。手元にある幻のチケットを眺めるばかりです。きつい。コミケコミティア文学フリマもなくなってしまいました。果たして。

 

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  4/9(木):あまり家から出ないようにとは思いつつ、用事や買い物もあるので今日は外に出た。マスクをして。眼鏡とマスクの相性は最悪です。チケット全吹っ飛びのショックは一日そこらでは癒えず。私に出来ることと言えばどうぶつの森無人島を開拓するくらいのことでした。今日はなんというか、それくらいのことしかしていない。マスクは売っていないし、消毒液も売っていないし、ハンドソープも売っていないし、でも石鹸は普通に売っていました。石鹸でいいじゃないか。石鹸で。そういえば今週の日記から西暦を追加したのは、4/8でこの日記をつけ始めてからちょうど一年が経ったからです。まさか本当に一年も続くとは思っていませんでしたが、意外と続くものですね。今日はテイクアウトしてスターバックスでアイスチャイティーラテを飲みました。スパイシーで、苦手な人は本当に飲めないだろうなと思いました。私は好きな味でした。今月末から始まるはずだったアルバイトが吹っ飛びました。疫病が憎いです。

 

 4/10(金):つらさを他人と比較しないようにしている。つらいこと、悩んでいること、苦しいこと。自分がそう思っていても、他人はそう思わないかもしれない。自分の悩みや苦しみは、自分以外の人にはちっぽけなものかもしれない。そういう考えとは距離を置く。その方が良いし、そうしなければならないと思う。誰かの苦しみは、その人だけの特別なものだ。あなたの悩みも、私の地獄も。別の何かと比較できるものではない。不幸自慢が好きではないのだ。不幸の果てに死んでしまった人は、不幸を自慢できないから。不幸に向かって、その先に待つ死に向かって、さぁみんなで競争をしましょう。そんな状態は、なんと言えばいいのか、健全ではない。私の悩みはこの人の悩みよりも尊大なものだ、なんて考えに意味はない。あなたの悩みはあなただけのものなのだ。残酷なほどに。あの人のつらさと比べたら、私のつらさなんて…。本当にそうだろうか。あなたの悩みは、他の誰でもない、あなただけのものです。人間は救われない。自分のことを救うことは出来るけれど。録画していた『有吉の壁』を見てめちゃくちゃ笑い、『ぴったんこカンカン』に出ていた高畑充希を見て『ミスサイゴン』に思いを馳せ、すこし泣きました。

 

 4/11(土):土曜日。今日は外に出ず。朝起きて、ご飯を食べながら南海キャンディーズ山里亮太の新番組を流し見していたけれど、こういう状況なのでテレワークが多く大変そうだった。みんな、大変です。「あさパラ」は二時間スペシャルで、これまたテレワークの影響でもうすごいことになっていた。打ち合わせなしでどんどん番組を進めていく感じ、関西でしか無理なんじゃないかという気がする。ゲラゲラ笑いながら見ていたけれど。お昼ご飯は群馬のご当地うどん、鬼ひもかわうどんを食べた。もうすごい幅広の面が特徴で、一本ずつ(一枚ずつ?)しか食べられない。そして、すすろうものならのどに張り付いて死にそうになる。でも美味しい。機会があれば食べてみてください。絶対にすすらないでください。午後は作業をしたりどうぶつの森をしたり。釣り大会に来ていたビーバーがチャラくて良かった。家にいるのがそろそろしんどくなってきたので、散歩でも始めようかと思う。

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 4/12(日):醜悪なものを見た。それも、とてつもなく醜悪なものをこの目で見た。殺して相手の皮を剥いでノートを造るかのような、その手で殺した相手の頭蓋骨で杯を造り酒を飲むかのような、考えたくもないほど趣味の悪いものを見ることになった。なってしまった。「私はノンポリです」みたいな顔をしてものを創っていたけれど、まさかノンポリであることが不利に働く日が来るなんて、夢にも思っていなかった。そういう態度の、あらゆるツケを払わされいるような日々だ。「ような」ではなく、まさしくそうなのだろうけど。星野源が10日ほど前に始めた「うちで踊ろう Dancing On The Inside」という活動は、自粛や休業に追い込まれ精神的にも物理的にもつらい状況にある人たちが、それでも希望を絶やさず生きていくためのムーブメントだ。いまやそれは「だった」と言うべきかもしれないが。その動きに、果たして多くの人々を「その状況」に追い込んだまさにその人間が、どうしてお茶を飲み犬を撫でるという動画だけで乗っかることが出来るのか。あなたの選択した行動が、それなのか。ノンジェンダーかつノンポリに見える(議論はある、彼のことはそれなりに知っている)スタンスで自らのキャリアを築き上げてきた星野源に対する侮辱。おそらくかの人は、星野源がなぜ「Dancing At Home」ではなく「Dancing On The Inside」というタイトルをつけたのかも分からないのだろう。唾棄すべき邪悪がそこにある。