感情の揺れ方

それでも笑っていたい

週間日記(3/30~4/5)

 3/30(月):特に何もしていない。朝からコーヒーをたっぷりと飲み、家のことをして、作業を進める。就職活動にもすこし影響が出始めている。具体的にはエントリーシートの〆切が伸びたり、面接の日程が宙に浮いたままになっていたりと、さまざまだ。みんな苦しい状況で、洞窟の出口も見えず、かと言って入り口はもう塞がれているのだからどうしようもない。前門の虎、後門の狼。鬼が出るか蛇が出るか。不要不急の外出か…と思いながら外に出て、コンビニに行き、書店に寄って雑誌を買う。帰宅して、もちろん手洗いなどをして、ジャンプを読む。『鬼滅の刃』、『呪術廻戦』、『チェンソーマン』。しばらくはインプットとアウトプットを繰り返す日々を続けよう。結局それしかないと再確認している。夜になり、どうぶつの森をする。案内所が完成し、しずえさんがやってきた。しかしこう、ただの住民だったはずなのにいつの間にか島の開拓を一手に担う存在にさせられているの、この狸野郎めと思ってしまいますね。

 

 3/31(火):3月が終わる。本来ならば年度末のバタバタや、新生活に向けた準備などが世間一般を包み込むのだろうが、こと2020年に限ってそんな雰囲気は一切ない。どこにもない。日本のどこにも、そして世界のどこにもないだろう。インターネットやテレビを介して飛び込んでくる情報と、それに付随するストレスが激しく、昨日あたりから各種SNSなどから距離を置くようにしている。代わりに、インプットの時間を増やしている。アニメ、漫画、映画。なんと言っても外に出られないので、アマゾンプライムやスカイステージが頼りになる。正直なところ、色々なことが不安だ。就職活動が行えるのかということ、今現在収入が先月と比べて結構減ってしまっていること、果たして年内にまた東京へ行って推しに会うことが出来るのかということ。枚挙に遑がない。そういう状況の中で、エントリーを書く。『ハチミツとクローバー』を例に、羽海野チカが描く「天才の苦しみ」について。4月は更新を増やす。

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  4/1(水):不安だ。不安でしかない。果たして今自分がやっている作業に意味があるのかと考えてしまう。この作品が世に出るのか、という。しかも精神的な問題でなく、物理的な問題で。「ディストピアみたいだな」という言葉が比喩ではなくなっているような気がする。Big Brother is watching you. 「水曜どうでしょう」の最新シリーズがえげつない終わり方をしていたという話くらいしかすることがない。この日記に書くべき内容も、そろそろ考えなければならないのだろう。

   

 4/2(木):家訓のようなものはどの家にもあると思うけれど、私が育った家庭にそういうものはほとんどなかった。ただひとつだけ、ものすごく厳密なルールがひとつだけあった。「外出するときは、絶対家族に声をかけてから出ること」。こう書いてみるととてもシンプルなルールではあるが、このルールだけは徹底して厳密に運用されていた。例えば始発の電車に乗って出かけるとき、あるいは深夜に車で出発して遠出をするとき、家族が寝ていたとしても起こして声をかける。それが当たり前になっていたので、誰かに指摘されるまで考えたことがなかったけれど、他の家では誰にも声をかけずに外出することは普通のことらしかった。行ってきます、行ってらっしゃいというやり取りがなければならないというのが、家訓。きっと、家を出た人が元気に帰ってくることなど当たり前なわけがない、ということが根底にあるのだと思う。そういう状況に直面することが多い人だからかもしれない。次に会うとき、私はもう骨になっているかもしれないからねというメッセージ。果たして色々なことを、常に考えなければならないのだ。こういうご時世でなくても。

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 4/3(金):ミュージカル『アナスタシア』の梅田芸術劇場公演が一部中止になった。私はその公演のチケットを持っていた。半年前に当選した。最前列の座席だった。私はもうこの先あの座席に座ることが出来ない。2020年4月7日に上演される『アナスタシア』を観ることはもう二度と不可能になってしまった。あの日、あの場所でアーニャを演じる葵わかなを観ることは一生ないのだ。たとえ自体が収束し、再演が決まり、またチケットが当たったとしても、その事実が変わることはない。芝居を観るとはそういうことだ。感情を向ける先がない。ストレスでどうにかなってしまいそうだ。

 

 4/4(土):そういえば、昨日は企業からのお祈りが届いた。すでにいくつかの祈りを頂戴しているけれど、帰依の対象になるのはそこまで悪い気分ではない。なんというか全然ショックではなくて、きっとそんなこと言ってる場合ではない状況だからだろう。そんなことで良いのか、というのは別にして。別にしていいのか?まぁ、いいか。自分の問題。2020年の頭にやって来たのはとんでもない文化の停滞で、どうしたものかと思う。これは個人的な予測だが、この影響は2030年くらいまでは続くような気がする。例えば3.11を経験した日本のエンターテインメントが「津波」あるいは「海に沈む街」を描くまでに何年かかったのか。3.11という惨禍へ向きあうため、「どうやって向き合えばいいのか」というその前段階を考えるまでにどれだけの時間が必要だったか。それが世界規模で起こる。文化、芸術、エンターテインメントは、おそらく死なない。限りなく希望的観測だが、おそらくは死なないだろう。こと演劇に関しては分からない。死ぬ、あるいは、「死んだまま」になるかもしれない。それこそ『悦ばしき知識』でニーチェが言った、「死んだまま」だ。文化も芸術も演劇もエンタメも、その「担い手」の一部は消えてしまうだろう。もう二度と帰ってこないものたちがいて、そしてある。現存するプロダクトをいたずらに消費するだけの時間が来る。動員系のエンタメが、その場しのぎを続けるだけの長いトンネルがそこにある。いやきっと、もう足を踏み入れているのだろう。

人生は私が知らないうちに通り過ぎてしまった

     ──『グランドホテル』

 

 4/5(日):スケッチブックと鉛筆を買った。せめてもの抵抗に。普段からそこまで積極的に外出をする性格ではないし、どちらかと言えば自分は引きこもり体質なのだろうと思っていたけれど、 こういう事態になって初めてそうではないことに気が付いた。めちゃくちゃ外に出たい。禁止されていることをやりたくなるという、単純な心理状態なのかもしれないけれど。今日は寝るか無人島を開拓するかのどちらかみたいな一日で、平時ならいたって穏やかな日曜日だったような気がする。夜は『バナナマンのせっかくグルメ』を見た。ゴールデン進出一回目の放送だったが、果たしてこれからはいったいどうなるのだろう。各局には過去のドラマを再放送してくれたらと思う。なんならちょっとした報道番組以外は一日中それでもいいくらいだ。たった数か月前の日常をこんなにも渇望するとは思ってもみなかった。