感情の揺れ方

それでも笑っていたい

映画評:是枝裕和監督作『怪物』

 坂元裕二がまさか世界的な評価を得ることになるとは思ってもみなかった。カンヌで賞を取るより前から、是枝監督が坂元脚本で映画を撮るということで気になっていたこの『怪物』。ある出来事に関するひとつのシークエンスを三つの視点──親・教師・子供の視点──から描くという構成になっている。親から見た教師と子供、教師から見た親と子供。それぞれがそれぞれにとってどのような存在なのか、それぞれが主体的にはどのような存在なのかを複層的に描写することで、『怪物』あるいは「怪物誰だ」という印象的なワードが立ち上がってくるようになっている。

 映像は美しく、これぞ坂元脚本と言いたくなるような言葉をしっかりと肉のあるものとしている俳優陣の演技も素晴らしかった。個人的に気にかかったのは永山瑛太演じる担任教師・保利の描写やキャラクターで、母親の視点から描かれる彼と、他の二者の視点で描かれる彼との間に共時性──平たく言えば一貫性だが──を持っていなかったように感じた点である。この人とこの人は本当に同一人物なのか?と言いたくなるのだが、それこそがタイトル『怪物』の意味するところなのかもしれない、とも思う。

 作中で「怪物」と直接に表現される存在である子どもたち、湊と依里についてはまだ定まったことを言えるほどにかみ砕いてはおらず、しかし片足を引っかけるような形で言及したくないテーマが多分に含まれるためこのエントリーでは触れないこととする。ただひとつ、「クィア・パルムではなくない?」とだけ書き残して、結びとしたい。