感情の揺れ方

それでも笑っていたい

2017年宙組公演『神々の土地~ロマノフたちの黄昏~』─サヨナラ朝夏まなと─

 朝夏まなとは、本当に演技の上手い男役だったと思う。それも何と言えば良いのか、あらゆる役柄を「宝塚の男役に落とし込む」のが上手い男役だった。トップスター就任以降、『王家に捧ぐ歌』のラダメス、『シェイクスピア』のウィリアム、『エリザベート』のトートといったいわゆる宝塚らしい役柄から、『王妃の館』では北白川右京というパンチのあるコメディライクなキャラクターまで、そのすべてを的確に演じてきた。キャラクターの持つ魅力を最大限に表現しながらも、「朝夏まなとがそのキャラクターを演じる意味」をも前面に押し出すことの出来る男役が朝夏まなとだったと思う。

 そんな朝夏まなとのサヨナラ公演が『神々の土地』である。作・演出は上田久美子のオリジナル作品。個人的な印象にはなるが、上田久美子という演出家は「誰が演じるのか」ということを念頭に置いた作品造りがものすごく上手い。一体、朝夏まなとが、退団作品でどういう役柄を演じるのか。『神々の土地』という作品には、そのことが十分に反映されていたと思う。

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ドミトリー・パブロヴィチ・ロマノフ(朝夏まなと)

 1916年、革命前夜のロシア、ペトログラードを舞台に物語は進む。皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラがラスプーチンという怪僧に操られ悪政を敷いているという噂が流れている中、一次大戦の困窮に喘ぐ民衆はロマノフ王朝への不満を募らせ、革命はすぐそこまで迫っていた。

 ロマノフの一族であり有能な軍人でもある、朝夏まなと演じるドミトリーはモスクワの故セルゲイ大公邸に居候していたが、皇帝の身辺警護のためペトログラードへの転任を命じられる。皇后アレクサンドラの妹でありセルゲイ大公の妻であったイリナ(伶美うらら)もまた、軍隊の士気を高めるため前線で看護婦として働くことを決める。自らを送るパーティーを抜け出し、農夫のイワンとともに雪原で狩りにいそしむドミトリー。折からの大戦で息子は前線に、そして自分たちも困窮するイワンは、どこまでも真っ白な雪原に向かって叫ぶ。なぜ私たちは戦っているのかと。その問いかけは、ロシアという大地に住む神々への問いかけでもあった。『神々の土地』という作品は、大地あるいは神々と人間との埋めがたい溝を描いている。常に滅びゆく人々と、常にそこにある大地と。凍てつく嵐のその中で、黄昏ゆくロマノフたち。ドミトリーもイリナも、自分たちの置かれている状況を分かっていながら、ロマノフとして生きなければならない。雪原の中、別れを前にドミトリーとイリナは無邪気に踊る。神々の生きる雪原の中でしか、二人はロマノフの名前を捨てられないのだ。「自分の信念に従って生きよう」と、ドミトリーとイリナは離れていく。

 果てなき大地は黙り込んだまま
  凍てつく土はもの言わずただ雪を抱いて眠る
 別れの言葉 聞くがいい吹く風だけが
 果てのない荒野をどこまでも旅する
 帰らぬ大地にやがて来る春は
 誰も見たことのないような素晴らしい春だろう
 見渡す限りの花咲く大地よ お前に託そうこの愛
 草よ花よ歌えよここに残すわが愛を

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イリナ(伶美うらら)

 この作品の大きな特徴のひとつに、「曲の少なさ」が挙げられる。いわゆるミュージカルが流行っている近年の宝塚歌劇にあって、この『神々の土地』には歌唱シーンが多くはない。トップスター朝夏まなとが歌うソロシーンは2場面で、トップ娘役ではないがヒロインを演じ今作で退団する伶美と二番手男役の真風涼帆にはソロ曲がない。ソロ曲どころか、そもそも舞台上で歌う場面がほとんどないのだ。楽曲に頼らずとも面白い作品を、という上田久美子のこだわりが感じられる部分である。

 任官式のためにペトログラードへと赴いたドミトリーだったが、皇帝の住むツァールスコエ・セローに彼の居場所はなかった。王朝を救う方法を模索する彼に味方するのは、彼の友人でありロマノフすらしのぐロシア最大の貴族ユスポフ家の嫡男フェリックス(真風涼帆)とその一族だった。フェリックスたちユスポフ家と、皇太后マリア、そして一部の軍人たちは皇帝一家が傾倒するラスプーチンを暗殺し、ドミトリーを新たな皇帝に迎える計画を立てていたのだ。しかし時を同じくして、ドミトリーは皇帝から皇女オリガ(星風まどか)との結婚を勧められる。自分がオリガと結婚すれば、内部からロマノフ王朝を救えるのではないかと考えたドミトリーは、婚約披露パーティーへ招待する手紙をイリナに送る。ドミトリーの婚約に、説明のつかない感情を抱くイリナだったが、モスクワで交わした「自分の信念に従って生きよう」という言葉を思い出し、彼女はパーティへ向かう。しかし、ドミトリーとイリナにも革命の影が忍び寄る。イリナを狙った爆破事件の報せに、ドミトリーは周囲の制止を振りきって事件の起きた駅へ向かおうとするが、そこへ一命をとりとめたイリナが現れる。ドミトリーはオリガや皇帝たちが見守る中で、イリナを強く抱きしめた。

 

 

 ロマノフ王朝を救おうとするドミトリーの思いとは裏腹に、革命の炎は強くなる一方だった。たとえ貴族であっても、ロシアという大地が、そしてそこに生きる人々の魂が生み出すうねりには逆らえない。活動家のアジトとなっていた酒場へ突入したドミトリーは、銃撃戦の果てにほとんどの人間が命を失う様を見て決意する。この国を守るために残された道は、ひとつしかない。彼はついにクーデターへと踏み切り、ラスプーチンに銃を向ける。皇帝を意のままに操った怪僧の死に国民は熱狂するが、軍隊を率いる将軍が逮捕され、クーデターは失敗に終わってしまう。オリガの懇願もむなしく、皇后アレクサンドラはドミトリーを死のペルシア戦線に送ることを決めた。救国の英雄に対する扱いに国民は憤る。こうなってしまっては、革命を止めることなど不可能だった。かくして、ドミトリーをもってしてもロシアという大地に勝つことは出来なかったのだ。貴族たちが次々と亡命していく中、イリナはロシアにとどまっていた。ある深夜、モスクワの屋敷にドミトリーが現れる。ペルシアへと向かう列車から飛び降り、イリナに別れを告げるためにやってきたのだった。最後の時間を過ごしたドミトリーとイリナ。ドミトリーを探してやってきたフェリックスは彼を匿おうとするが、ドミトリーは応じない。彼は最後までロマノフとしての人生を生きようする。そしてイリナとドミトリーは踊る。ロシアの貴族としてではなく、イレーネとして。いつもそこにあるロシアという大地の前では、貴族も民衆も等しくひとつの魂でしかないのだ。

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最後の時間を過ごすふたり

 華やかな魅力を携えながらも国を憂い、過酷な運命に身を投じた貴公子。その翳りを、朝夏まなとは的確に演じていた。ただ一人の人間として自分が抱いた恋を胸に隠し、貴族としてどう生きるのか。個人としての幸せや幸福を捨てて生きる、正統派のヒーローのようなドミトリーの美しさが朝夏自身の魅力と相まって彼の集大成と言ってもいい作品になっているように思う。そしてその「忘れえぬ恋」の相手に相応しい、伶美うららの美しさ。宝塚歌劇団にあっても屈指の美貌を誇った彼女が、最後の大劇場でヒロインとして残す輝きは、語り継がれるべきものではないだろうか。ミュージカル全盛の宝塚にあって魅力を最大限に発揮することの少ない彼女ではあったが、伶美うららには伶美うららにしかない魅力があった。そして、真風涼帆のパフォーマンスにも言及しなければならない。朝夏に負けず劣らず、彼も演技が上手い。フェリックスがドミトリーに対して持つ、どこか友情とは違う雰囲気をはらんだあの感情を見事に表現している。イリナに対する嫉妬にも似た感情を、「どちらにです?」というセリフだけでなくただ立っているだけの雰囲気、ドミトリーと話す際の距離感や所作でも表現する技術のすごさ。

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フェリックス・ユスポフ(真風涼帆)

 真風涼帆の相手役としてトップ娘役に就任することが決まっていた星風まどかのパフォーマンスにも良いものがあった。当時研究科4年目という若さであり、セリフ回しにはたどたどしさもあったが、ドミトリーへの恋心やアレクサンドラへの憂い、そして皇女としてロシアの未来を考えなければならない複雑な感情を抱くオリガをうまく演じていたように思う。『神々の土地』は、朝夏まなと、そして伶美うららの退団を飾るのに素晴らしい作品だった。

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皇女オリガ(星風まどか)