感情の揺れ方

それでも笑っていたい

感想:月組公演『桜嵐記/Dream Chaser!』~サヨナラ珠城りょう・美園さくら~

 月組トップコンビ珠城りょう・美園さくらの退団公演となる『桜嵐記/Dream Chaser!』が始まりの時を迎えた。一年以上が経っても新型感染症の拡大に歯止めがかからず、さまざまな分野や業界、そして個人個人に制約がかけられる状況の中でこの公演の幕が上がったことに、まず感謝を申し上げたい。直近の花組公演までは組がAチームBチームと二つのグループに分けられ、オーケストラの生演奏も行われていなかったが、この『桜嵐記/Dream Chaser!』からはその両方が解かれている。宝塚が帰ってきたとはまだ言えないが、舞台に立つ組子たちの輝きは一年前から変わっていないように思う。それはこの作品でもそうだった。

 『桜嵐記』は上田久美子氏が作・演出を手掛けたオリジナル作品。『星逢一夜』『金色の砂漠』など、登場人物の心の機微を繊細に描く作品が特徴の上田久美子だが、近年では朝夏まなと主演の『神々の土地』、望海風斗主演の『fff』など、トップスターのサヨナラ作品を手掛けることが多い。この『桜嵐記』もまた、珠城りょう・美園さくらの退団公演だが、「誰が演じるのか」を念頭に置いた脚本・演出が鋭さを増している。

 物語の舞台は南北朝の動乱期。南朝に仕える武将・楠木正行(珠城りょう)は、京を失い吉野へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、弟の正時(鳳月杏)、正儀(月城かなと)と共に北朝との戦いに明け暮れる日々を送っていた。時は貞和3年。住吉・阿倍野の合戦において単騎、物見へ向かった正行は、人気のない峠道で、ある網代輿が北朝高師直(紫門ゆりや)の手先に襲われているところに出くわす。敵を蹴散らした正行が助けたのは、南朝の女官・弁内侍(美園さくら)だった。正行は、父である日野俊基の仇である高師直の寝首をかかんとする弁内侍を吉野まで送り届けるため、半ば強引に自らの軍に同道させた。その道中、無骨だが高潔な正行の人柄に、弁内侍は惹かれ始める。

   

 珠城りょうとは、どのようなトップスターであっただろう。そして、彼の魅力はどこにあったのだろう。今作で彼が演じた楠木正行という人物は、一言で言えば「正義の人」である。実直で、人の道に外れるようなことはせず、誰に対しても誠実に生きている。世のため人のため生きる……、あるいは「自分は生かされている」という意識であふれた人物だ。ある種の自己犠牲と言ってもいい正行の人柄は、珠城自身の人柄や舞台人としての姿勢にも通ずるところがあるのではないだろうか。珠城りょうはトップスターでありながら、「抑制された美」を携えていた。決して自己中心的ではない、「滅私」のトップスター。それが珠城りょうという人の魅力だった。2008年に入団後、2010年『THE SCARLET PIMPERNEL』での新人公演初主演、2013年『月雲の皇子』でのバウホール初主演など早くから抜擢が続き、2016年には入団9年目で月組トップスターに就任した彼の苦悩は、私たちの想像を遥かに超えるものだっただろう。前任の龍真咲はまさしく個性的で華やか、光り輝くタイプのトップスターだった。そして一人目の相手役である愛希れいかもまた、トップ娘役でありながらバウホール公演で主演を務め、『エリザベート』や『All For One』、『BADDY』でのパフォーマンスはまさしく語り継がれる、「外へ向かう力」に満ちた娘役だった。そんな龍真咲や愛希れいか、そして珠城りょうよりも若くしてトップスターに就任した唯一の人物である天海祐希との比較にあって、珠城りょうの魅力は際立つ。語弊を恐れず言えば、彼は自ら光を発するタイプのトップスターではなかった。「トップスターになる人はライトを当てられなくとも自分から光を発する」とはよく言われるところではあるが、珠城は自らが強く輝くことで周囲の人に光を当てるのではなく、周囲を輝かせることで自らに光を当てるタイプのトップスターだった。究極の滅私が生み出す、抑制された美しさ……。珠城りょうというトップスターの魅力は決して分かりやすいものではなかったが、非常に卓越された、およそ80人の組をまとめるリーダーとしての資質に裏打ちされたものだった。彼がいなければ、月城かなとや風間柚乃といった若手の躍進はなかっただろう。

 そんな魅力を携えた珠城りょうに、楠木正行という人物を演じさせた上田久美子の演出が光る。南北朝という動乱の時代を生き、一瞬の光のような人生を生きた正行。敗色濃厚ながら、「大きな流れ」に逆らうことなく、父の正成や後醍醐天皇(一樹千尋)の遺志を継ぐ後村上天皇(暁千星)の姿勢を尊重し、自らがなすべきことをなす。弁内侍に恋をしながら、「自分の命は間もなく終わる」と結婚の申し出を断る正行の「滅私」を珠城は完璧と言ってもいいパフォーマンスで演じきっている。正時と正儀に北朝へ合流することを進められながら死地へ赴くことを選んだ正行の決断は、ともすれば綺麗事にも投げやりにも見えてしまいそうだが、珠城りょうが演じることで心に響くものになっていた。

 演出面での感想を深掘りすると、後村上天皇後醍醐天皇や、北朝との戦いで散っていったものたちの無念を回想する場面が素晴らしかった。後醍醐天皇の狂気を表現する一樹千尋の演技はさすが専科と言うべきものだったし、正行の決断に説得力を持たせるものだった。そして終盤、詳細は省くが、時系列を入れ替え、正行が死地たる「四条畷の戦い」に向かう出陣式の場面を最後の最後に持ってくる演出には心を打たれた。これぞ宝塚の和物であり、トップスターのサヨナラ作品という素晴らしさがあった。この数年、多くの話題作を発表している上田久美子のすごさが表れていて、『桜嵐記』が和物の名作として語り継がれるだろうことを予感させる。

f:id:Maholo2611:20210531104943j:plain

珠城りょう

 『Dream Chaser!』は中村暁氏によるショー作品。『桜嵐記』が珠城りょうの魅力に焦点を当てた作品だとすると、この『Dream Chaser!』は美園さくらの魅力を全面に押し出した作品だったように思う。美園さくらというトップ娘役は、歌って踊れる、すべてにハイレベルな娘役だったのだと、再認識させられた。お披露目公演のショー作品『クルンテープ』では公演が始まってから使用できなくなった楽曲があり出演場面の演出が変更になるなど、ショーでのトラブルに見舞われることの多かった彼女だが、この『Dream Chaser!』ではよりのびのびとしたパフォーマンスを見せている。

 出演者が銀橋で歌い継ぐシーンがほとんどなく、そもそものナンバーが少ないダンス・ショーであったが、そういう作品にありがちな中だるみのようなものが一切なかった。出演者の全員がこの作品で持てる力のすべてを出すのだという意識がこちらに伝わってくる、素晴らしいパフォーマンス。娘役だけで構成された場面も多く、自分以外の娘役の見せ場を作ることが出来るトップ娘役の素晴らしさを感じずにはいられなかった。

 『桜嵐記』にしろ『Dream Chaser!』にしろ、珠城りょう・美園さくらというトップコンビのパフォーマンスをまだまだ見ていたいと思わせる、素晴らしい作品だった。月城かなと・海乃美月が率いる新生月組への期待を込めて、結びとしたい。

f:id:Maholo2611:20210531112041j:plain

下手から、美園さくら・珠城りょう