感情の揺れ方

それでも笑っていたい

感想:月組公演『川霧の橋』

 月組新トップコンビ月城かなと・海乃美月のお披露目公演『川霧の橋/Dream Chaser』が博多の地で幕を開けた。山本周五郎氏による『柳橋物語』『ひとでなし』の二作品をもとに柴田侑宏氏が創り上げた『川霧の橋』は、1990年に同じく月組剣幸こだま愛の退団公演として上演され、それ以来日本物の名作としてファンのみならずタカラジェンヌの間でも語り継がれてきた作品である。そんな傑作初めての再演は、新トップコンビにとって大きな挑戦だっただろう。しかし、月城と海乃をはじめとした月組の面々は見事なパフォーマンスを示し、観る者の期待に応えてみせた。

 江戸を舞台に、隅田川の両国に近い茅町には「杉田屋」という大きな大工の棟梁の家があった。そこで働く幸次郎(月城かなと)・半次(鳳月杏)・清吉(暁千星)の三人は腕の立つ職人であり、棟梁夫妻には子供がいなかったため、この中から次期棟梁が選ばれることになる。白羽の矢が立ったのは、照れ性で口も悪いが心は優しく、職人気質で周囲からの信頼も厚い幸次郎だった。後見に着くこととなった兄弟弟子の半次は分を弁えるが、清吉は納得できずに上方へ出る決意を固める。江戸を出る前日、清吉は杉田屋の面々も世話になっている研ぎ職人源六(光月るう)の孫娘お光(海乃美月)を呼び出し、大金を稼いで帰ってくるまで待っていて欲しいと突然の夫婦約束を持ちかける。清吉の強い思いに打たれ、お光は思わず承知してしまうが、これは幸次郎が以前からお光を想っていたことを察した清吉が先手を打っただけだった──。やがて幸次郎とお光との間には正式な縁談が持ち上がるが、源六はある理由からその話を断ってしまう。幸次郎は落胆する一方、お光は清吉の帰りを待つ。そんなある日のこと、江戸の下町の大半を焼き尽くす火事が起こり、それぞれの人生が動き出す。

   

 小柳奈穂子氏による演出面から始めると、まず舞台装置の使い方がとても良かった。プロローグで使用されていた、大火を表現する幕は美しさと恐怖とを上手く表現していたし、中盤で幸次郎がお光を助ける中で川に流されていく場面はとても印象に残っている。そしてタイトルにもある「橋」のセットも見事だった。それまでずっと半分ほどしたその姿を見せていなかった橋が、最後の最後でようやく全体を見せ、初めてお光が橋を渡っていく場面は装置の使い方も演出も素晴らしかったように思う。暗転を挟んでぶつ切りになる場面が少なかったことも印象的。舞台上には常に誰かがいて、誰かが話している。江戸の下町を生きる人たちの「生活」をつづるこの物語を舞台上に描くにあたって、たとえ誰かの命が失われようが、火事で町が燃えようが生活は続くのだということを示しているようで、世界観が上手く表現されていた。

 個々の出演者に話題を移すと、光っていたのは海乃美月の好演である。おそらくこの作品の中でもっとも変化していくお光というキャラクターを的確に演じていた。火事の前後はもちろん、幸次郎と清吉との間で揺れ動く心情の表現は素晴らしく、培ってきたものを存分に発揮していた。一方、幸次郎を演じた月城かなとは「和物の雪組」出身らしく、所作や立ち居振る舞いから違いを見せていた。前作の『桜嵐記』でもそうだったが、彼のもつ清廉な雰囲気はどのような人物を演じても失われることがなく、しっかりと「タカラヅカ」を成立させる。あのラストシーンは語り草となるだろう。そして、おそらく最も火事と周囲の人間に振り回された人間である半次を演じた鳳月杏、対して最も周囲の人間を振り回した人間である清吉を演じた暁千星のパフォーマンスも素晴らしかった。源六役の光月るうが見せた、決して発話やセリフ回しだけに頼らない演技も見事。人間というものは決して善意や優しさだけを抱いて生きているのではないことをありありと見せつけるこの作品をしっかりと作り上げた月組のこれからに、大きな期待を寄せたい。