感情の揺れ方

それでも笑っていたい

望海風斗・真彩希帆の退団によせて

 宝塚歌劇団雪組のトップコンビ、望海風斗・真彩希帆が2021年4月11日の『fff─フォルティッシッシモ─/シルクロード~盗賊と宝石~』東京宝塚劇場公演千秋楽をもって退団する。男役・望海風斗と娘役・真彩希帆。宝塚歌劇団の歴史に大きな足跡を残したふたりに、終わりの時が迫っている。

 望海風斗は、正統派のトップスターではなかったように思う。圧倒的な歌唱力が他の追随を許さない領域に至っていたことは明白で、2020年の『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』で見せた演技力も素晴らしいの一言に尽きる。しかし彼の経歴を見るとやはり、望海風斗はユニークなトップスターだと思わざるを得ない。

 2003年、89期生として宝塚歌劇団に入団、花組に配属された望海風斗が一番初めに注目を集めたのは、2005年に蘭寿とむ主演で上演されたバウホール公演『くらわんか』で「貧乏神」を華形ひかるとの役替わりで演じたことだろう。和物、そして矢継ぎ早に繰り出される大量のセリフが特徴の難しい作品ではあったが、彼はこの「貧乏神」で観客に確かな印象を残した。今や押しも押されせぬトップスターになった望海風斗の初めて役名のついたキャラクターが「貧乏神」*1というのは、なかなかに面白いものがある。以降2009年の『太王四神記』で新人公演初主演、2010年のバウホール公演『BUND/NEON』『CODE HERO』両作で見せた朝夏まなととのコンビネーションなど、彼は男役の宝庫であった花組の中で徐々に存在感を増していった。そして「男役・望海風斗」が確立されたのは、蘭寿とむがトップスターに就任してから演じた数々のキャラクター、例えば『オーシャンズ11』のテリー・ベネディクトや『ラスト・タイクーン』のブロンソン・スミスといった、いわゆる「宝塚らしくない」キャラクターではないだろうか。気持ちの良い悪役であるベネディクトを軽快に演じるパフォーマンスは素晴らしく、蘭乃はな演じる恋人のミナに暴力をふるうブロンソン・スミス役では真に迫った演技を見せ、それまでにはない魅力を醸し出すようになった。そんなとき、大きな転機が訪れる。2014年の『エリザベート』を最後に、彼は雪組へと組替えをすることになったのだ。当時のトップスター・早霧せいなの下で望海風斗は男役としての確固たる地位を築き、無二の魅力を磨き上げていったように思う。主演を務めた『アル・カポネ』のタイトルロール、『星逢一夜』の源太役で培った経験は、2016年の『るろうに剣心』で爆発した。大ヒット漫画が原作となった作品の中で彼が演じたのは加納惣三郎という、原作には登場しない宝塚歌劇版オリジナルのキャラクターだった。原作物や、史実を下敷きにした作品では、元になったものが有名であればあるほどオリジナルキャラクターを演じるハードルは高くなる。ましてや『るろうに剣心』で望海風斗にのしかかったプレッシャーは、主人公の緋村剣心を演じる早霧せいなが感じたそれとは別種のものだっただろう。しかし、彼の見せたパフォーマンスは素晴らしかった。

「いいんですか、斎藤さん」

 人質を取って逃げようとする加納惣三郎が斎藤一に言った、短いセリフ。この短いセリフに現れる、言いようのない痺れ…。そしてフィナーレ冒頭のソロ…。劇場での衝撃を今でも覚えている。同年の『ドン・ジュアン』も、彼のベストパフォーマンスに数え上げられる公演だ。そして2017年、早霧せいなから羽根を引き継ぎ、雪組トップスター・望海風斗が誕生した。以降彼は2021年の退団まで、およそ10本の作品で主演を務めるのだが…ここで話題を戻したい。冒頭で「望海風斗はユニークなトップスターだった」と述べた。それはなぜか。「死ぬ役が多かったから」とか「ギャングの役が多かったから」とか、もちろんそれもあるけれど、端的に言えば「これほどまでの歌声を持ちながら、その歌声に固執しなかったから」だと私は思っている。もちろん2018年の『ファントム』では歌が重要な要素だったが、主人公エリックのイノセントな部分とそれゆえの狂気を所作や立ち居振る舞い、表情で的確に表現していた。より厳密な言い方をすれば、「声以外の方法で感情を伝える」ことが非常に上手かった。2019年の『壬生義士伝』、吉村貫一郎役でのパフォーマンスもそうだった。『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』は、男役・望海風斗の到達点だと言っていいだろう。主人公ヌードルスの少年期・青年期・壮年期のすべてをひとりで演じ切ってみせた、あの演技力。第一幕最後の場面は語り継がれる名シーンだ。そんな望海風斗が宝塚人生最後に演じるのが「聴力を失った音楽家」であるベートーヴェンというところに、それこそ「運命」のようなものを感じてしまうのは、ファンの性だろうか。

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『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』第一幕、最終場面

   

 ──「歌だけではない魅力を」、「声に頼らない演技を」。望海風斗の在り方に最も強く導かれたのは、他ならぬ相手役、真彩希帆だろう。彼女もまた唯一無二の、そして「異色」のトップ娘役だった。2012年、98期生として宝塚歌劇団に入団後花組に配属された彼女は、すぐに頭角を現した。組回り中に出演した星組公演『宝塚ジャポニズム』ではカゲソロを任され、2014年の『ラスト・タイクーン』新人公演では仙名彩世が本役を務めたエドナ・スミスを演じている。そして、本公演の舞台で真彩希帆が注目を集めたのは2014年の『エリザベート』だろう。彼女はエリザベートをお世話する美容師役を演じ、その歌声で一躍脚光を浴びた。

『卵の白身にコニャックを3杯』

 たったこれだけの短い歌唱ではあったが、彼女の実力は誰が見ても分かるものだった。明らかに、歌声が違うのだ。傑物。すごい娘役が誕生したんじゃないか。そう思わせる一瞬だった。『エリザベート』の新人公演で演じた難役マダム・ヴォルフでパフォーマンスも素晴らしかった。そんな彼女が組替えで星組へ異動することに驚いた人は少ないだろう。いわゆる「路線」に乗っている娘役に組替えは付き物だ。組替えは劇団からの期待の表れでもある。そして真彩希帆は、その期待に見事に応えた。『鈴蘭』『燃ゆる風』での二度のバウ公演ヒロインに、『こうもり』での新人公演初ヒロイン。そして当時の「真彩希帆らしさ」とでも言うべきものが最も如実に出ていたのが、2015年『ガイズ&ドールズ』の新人公演だと個人的には思っている。本公演では礼真琴が演じたアデレイドはセリフとナンバーが多く、カロリーの高い役どころ。本役のコピーになりがちな新人公演ではあるが、本役とはまったく違ったアデレイドを彼女は提示してみせた。ダンスや立ち姿に男役的なしなやかさを見え隠れさせる礼真琴のアデレイドに対して、彼女は声色や発話の仕方で味付けし「ギャンブル狂のボーイフレンドと14年も婚約したまま」という浮世離れしたアデレイドに説得力を持たせた。なにかのインタビューで「ミニーマウスの喋り方を意識しました」と語る彼女を見て、思わず膝を打ったことを覚えている。その発想力と、それを実現して舞台に表現する実力。

 宝塚歌劇団全体でも存在感を増し始めていた真彩希帆は、再び組替えを経験することになる。ほどなくして、咲妃みゆの後任として雪組トップ娘役に就任することが発表された。すでに圧倒的な声と歌唱力を持っていた彼女の相手役は、望海風斗だった。ファンは沸き立った。この二人は一体どんな作品を見せてくれるのだろうと。一体どんな歌声で、劇場を沸かせてくれるのだろうと。そんな二人のプレお披露目公演は、何度も上演されている宝塚の名作『琥珀色の雨にぬれて』だった。一次大戦後のフランスを舞台に、貴族の青年と二人の対照的な女性との三角関係を描く古典的な作品は、意外なほど二人にマッチしていた。続く大劇場お披露目公演は『THE SCARLET PIMPERNEL』などの作曲を手掛けたフランク・ワイルドホーン氏を迎えた『ひかりふる路』と、『SUPER VOYGER!』。望海風斗・真彩希帆ここにありとでも言うような二人のパフォーマンスは素晴らしく、特に『ひかりふる路』終盤の「葛藤と焦燥」で見せた掛け合いは圧巻だった。しかし、この作品で真彩希帆はトラブルに見舞われる。宝塚大劇場での公演期間途中で、彼女は喉を潰してしまったのだ。公演に穴をあけるような事態にはならなかったが、自らの代名詞である「声」を失った彼女の苦悩は、想像するに余りある。だが、真彩希帆は決して折れなかった。むしろ彼女は最大の武器である「声」を一度捨てることで、新たな武器を手にして再び舞台に戻ってきた。轟悠を主演に迎えた『凱旋門』で演じたジョアン・マヅーが上手から舞台に登場したときのことを、鮮明に覚えている。ただ歩き、ただ立っている。最初のセリフを発するその前に、ジョアンが考えていること、ひいてはジョアンというキャラクターそのものが伝わってきたのだ。真彩希帆がまったく別次元の役者になったのだと思った。そしてこの作品以降、彼女は「異色」のトップ娘役へと変化していく。

 スターシステムを採用している宝塚にあって、特にトップスターとトップ娘役に求められるのは「その人らしさ」だろう。極端な言い方をすれば、どんな役であろうが「誰が演じているか」が重要視される。観客が求めるのは「トップスター」で、かつ「その人」が舞台に立つ姿だ。しかし『凱旋門』以降、真彩希帆は確実にその逆を進んで行く。平易な言い方をすれば、「真彩希帆感」を極限まで薄くしていった。「声」、あるいは「歌声」という自らの武器を一度捨てたことで、彼女は「真彩希帆らしさ」から脱却する。捨てたと言ってもいいかもしれない。演じるための器とでも表現すべき彼女の新たな表現力が分かりやすい形で発揮されたのが『壬生義士伝』で挑んだ、「しづ」と「みよ」の一人二役だろう。トップ娘役が本公演でしっかりした一人二役を演じるということ自体が珍しいものの、真彩希帆は振り幅を広げた表現力でしっかりと演じきってみせた。「声だけではない武器」を彼女が手に入れることが出来たのは、言うまでもなく望海風斗の存在があったからだろう。新たな武器を手に入れた彼女が臨んだ『ファントム』で見せたパフォーマンスは圧巻の一言だったが、やはり真彩希帆が培ってきたものが最大限に発揮されているのが退団公演である『fff』。「謎の女」という、匿名性に包まれたこの役をトップ娘役として演じることは、トップ娘役でありながら「自分らしさ」「真彩希帆らしさ」を自ら剥いでいった真彩希帆でなければ不可能だった。

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凱旋門』、ジョアン・マヅー

 最後に、劇団が「屈指の歌声を持つ」と称した望海風斗・真彩希帆の印象的な場面をいくつか挙げて終わりにしたいと思う。まずは『ファントム』のすべて。次に、先ほども言及した『ひかりふる路』での「葛藤と焦燥」。最後に、『Gato Bonito!!』での「コパカバーナ」。もちろんこれ以外にもたくさんの名場面があるが、キリがないのでこれくらいに。

 そして、2019年の『20世紀号に乗って』がいつか映像化されることをひとりのファンとして願ってやまない。

 

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*1:新人公演を除いて