感情の揺れ方

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感想:雪組公演『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』~望海風斗は皇帝だった~

 2020年の一作目に、宝塚歌劇団はとんでもないものをぶつけてきた。宝塚らしさと宝塚らしくない要素を兼ね備えたその作品は、トップスター望海風斗の代名詞となるだろう。それが『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』である。およそ一年前の公演『ファントム』は、語弊を恐れずに言えば「真彩希帆の代表作」だ。あの物語はどうしようもなく「クリスティーヌの物語」、厳密に言えばクリスティーヌが原動力となる物語であり、エリックが突き動かす物語ではない。だからこそ『ファントム』は真彩希帆の名刺代わりとなる作品なのだが、今作は違う。『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』は、まさしく望海風斗の代表作として語り継がれることになるだろう。『ONCE~』は、1984年に公開されたセルジオ・レオーネ監督、ロバート・デニーロ主演のギャング映画である。小池修一郎が脚本・演出を務め、今回が世界で初めてのミュージカル化ということになった。小池修一郎によれば、彼はこの作品を観た直後から舞台化したいと思い続け、デビュー作の『ヴァレンチノ』や2007年の『アデュー・マルセイユ』は『ONCE~』を観たことで興味を持った20世紀のアメリカへの移民の物語に着想を得た作品だという。難解、かつ長時間で知られるこの映画を舞台化することに、彼は様々な困難を感じていた。主人公ヌードルスの少年期、青年期、壮年期すべてを演じ切ることが出来る役者が宝塚にいるのだろうか?そう悩む小池修一郎の前に現れたのが、今や押しも押されもせぬトップスターとなった望海風斗だったというわけだ。望海自身も『ONCE~』のファンであり、いつか小池がこの作品を舞台化するのではないか、もしそうなら主演は絶対に自分がいいと思っていたというではないか。運命的な巡り合わせに支えられたこのミュージカルは、まさしく傑作と呼ぶにふさわしいものだった。まず、あらすじは以下の通り。

 1920年代のアメリカ、ニューヨーク──。マンハッタン島東南の場末、ローワー・イーストサイドには、19世紀末頃から政変のロシアや極貧の東欧からアメリカへと渡った多くのユダヤ人が移住していた。誰もが新大陸アメリカの地で成功を夢見ていたが、ローワー・イーストサイドのユダヤ移民にとって現実は厳しいものだった。
 ユダヤ移民の子である、デイヴィッド・ヌードルス・アーロンソン(望海風斗)は、幼い頃から裏社会で自らの手を汚し暮らしていた。マックス(彩風咲奈)、コックアイ(真那春人)、パッツィー(縣千)、ドミニク(彩海せら)ら信頼する仲間同士寄り添い、非合法の世界に根を下ろす…。彼らが生きていく術はそれしかなかったのだ。
 ヌードルスには恋焦がれる少女がいた。仲間うちでただ一人、正業に就き親のダイナーを手伝っているファット・モー(奏乃はると)の妹デボラ(真彩希帆)だ。この土地を離れ、何としても陽の当たる場所へと抜け出し成功者となる…ヌードルスと女優志願のデボラは、互いの夢を語り合い、自分たちの未来の姿に思いを馳せる。
 時は禁酒法時代の真っ只中。アメリカ中に密造酒が溢れ、ヌードルスたちは運び屋として大いに儲けることとなった。彼らはマックスの提案で稼いだ金を共有財産としてトランクに詰め、駅のロッカーにしまっておくことにする。一歩ずつ、彼らのチャンスは広がっているかに見えたが、ある日、敵対するギャングとの抗争でドミニクが殺され、怒りに震えたヌードルスは相手と、間に割って入った巡査を刺し殺してしまうのだった。その場で警官に取り押さえられたヌードルスは、罪を償うこととなる。
 1929年、ウォール街の株の大暴落でバブルはあっけなく弾けてしまった。そんな中、7年余りの刑期を終えヌードルスが戻ってきた。ヌードルス不在の間もマックスを中心に結束した仲間たちは、したたかに時代を生き抜いている。マックスは暗黒街の若き顔役の一人となり、スピークイージー(潜り酒場)を経営。店のショーガールであるキャロル(朝美絢)を恋人に持ち、彼の野心は膨らむばかりだ。ヌードルスは、案内されたマックスの店で、夢にまでその面影を追い続けた、デボラと再会を果たす。今や彼女はマンハッタンの摩天楼の最上階にあるヴァンダー・ビルド・フォリーズ劇場のスターとして活躍していた。ヌードルスとの再会を喜ぶデボラに、これからはかつて語り合った夢を共に見ようと告げるヌードルス。デボラは、裏街道に身を置くマックスたちの仲間には入らないで欲しいと彼に頼むのだった。だが、自分の帰りを待ってくれていた仲間を裏切ることはヌードルスには出来なかった…。
 アポカリプス(黙示録)の四騎士と呼ばれるようになったヌードルスたちは次々と危険な仕事を引き受け、全米運送者組合に属するジミー(彩凪翔)の依頼で頻発する労働争議にみ介入し、大金を手にしていく。たとえデボラに拒まれても思いを遂げたいと願うヌードルスは、ある時、彼女を海辺のレストランに誘う。そして、最上級のもてなしでデボラへの深い愛を語り始めるのだが──。
            公演プログラムより

 望海風斗の特筆すべき点はどこにあるだろう。そう考えたとき真っ先に浮かぶのは、もちろん歌唱力だ。『オーシャンズ11』のテリー・ベネディクトや『エリザベート』のルイジ・ルキーニなど花組時代はもとより、新人公演時代からその歌唱力は他を圧倒していたように思う。その到達点が2018年から2019年にかけて上演された『ファントム』であることは疑いようがないだろう。「Hear My Tragic Story」や「Where in The World」といった名曲の数々で見せたあのパフォーマンスは、いつまでも語り継がれるはずだ。『ファントム』が望海風斗の歌唱力の到達点だとすれば、今作『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』は、「演技力」の到達点だと私は思う。主人公ヌードルスの少年期、青年期、壮年期を演じ分けるあの力、凄み。望海風斗の代表作が誕生したと述べたのは、そういうことなのだ。『ファントム』の主人公エリックが持つ、あのピュアさと、だからこその狂気。それを巧みに演じてみせた望海風斗が、満を持して舞台を蹂躙したのである。代表作『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』において、望海風斗はまさしく「皇帝」であった。

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望海風斗

  物語はまず、1958年にファット・モーのダイナーをヌードルスが25年ぶりに尋ねるところから始まる。かつて暗黒街を駆け抜けていたヌードルスはすっかり老け込み、田舎で自動車修理工場を経営しながら暮らしていた。直前の場面は宝塚らしいプロローグで、スーツ姿の男役が勢ぞろいする。もちろん望海風斗も1932年、青年期のヌードルスとして歌い踊っているのだが、まずこの切り替えが素晴らしい。そして続く場面では少年期、1922年のヌードルスを演じるのだから、もう脱帽ものだ。望海風斗が積み上げてきたものの途方もなさを感じさせられる。ヌードルスやマックスたち主要キャラクターの少年期、青年期、壮年期のすべてを同じ役者が演じているという点は今作の大きな特徴だろう。宝塚では登場人物の幼少期を別の組子*1が演じるということが多い。その方針が取られていないのは、『ONCE~』という作品がそもそも一人の少年がどのように育ち、生きていくのかを緻密に、繊細に描く物語だからだろう。3つの時間軸を行き来する展開は細かく、すべての出来事をつぶさに紡いだとしても、1枚の美しいタペストリーが出来上がるわけではない。だからこそ、それぞれの人生を1人の組子が演じなければならなかったのだろう。演じさせなければならなかった、という言い方の方が、演出家の狙いに寄り添うものかもしれない。これは大きな挑戦であるように思う。二幕構成、およそ2時間30分という上演時間の中で1人が3役を演じるというのは、途方もない職人芸だ。1922年のヌードルスを演じる望海風斗はまさしく少年だった。バレエを習うデボラをのぞき見するヌードルスも、俺は皇帝になってお前を皇后にするよと約束するヌードルスも、そのすべてがみずみずしい輝きに満ちていた。

「俺は皇帝になって マンハッタン支配する」

「私は皇后になって アメリカ一有名になる」

         ヌードルス、デボラ

  そして敵対するギャングとの抗争を経てヌードルスは刑務所へ入り、7年余りの刑期を終えて出所する。7年の間に暗黒街の有名人となったマックス、コックアイ、パッツィーから送られたピッタリのスーツに身を包んだヌードルス。青年期のヌードルスを演じる望海風斗の圧倒的な存在感。刑務所での7年間を想像するに余りある、ヌードルスの立ち姿。立っているだけでキャラクターの内面を表現できる役者はそう多くはない。立ち姿と言えば、デボラを演じる真彩希帆もまた素晴らしい表現力を見せていた。幼少期のデボラはキラキラとした輝きに、ブロードウェイのスターとなったデボラは静かな野心に満ちている。望海風斗とのデュエットも多く、演技力だけではない彼女の魅力が十分に発揮されていて、素晴らしいパフォーマンスだった。特に第一幕の最後、海辺のホテルでヌードルスがデボラへの愛を語るが、デボラはハリウッド進出のためにヌードルスとの別れを選ぶ場面は圧巻だった。およそ10年前、モーのダイナーの倉庫で渡した小さな花束とは比べ物にならないほど大量の薔薇をバックに一人嘆くヌードルス…。まだ1月だが、2020年の宝塚でも屈指の名シーンになるはずだ。

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第一幕のラストシーン

   

 望海風斗というトップスターの下で、彼に引っ張られるように素晴らしい演技を見せていたのは真彩希帆だけではない。 マックス役の彩風咲奈、コックアイ役の真那春人、ジミー役の彩凪翔もまた、それぞれの役割をまっとうしていたように思う。特に印象に残っているのは彩凪翔。ジミーはこの物語における裏のキーパーソンというか、フィクサーのような役回りだ。第一場からラストシーンまで、実はこの人物が関係していると言ってもいい。もちろんその部分が明確に描かれることはなく、観客の想像に委ねられる部分は多いのだが、だからこそジミーというキャラクターは重要になってくる。その大役を演じるにあたって、彩凪翔はまた今までとは違う魅力を見せていたように思う。華のあるヴィジュアルが話題になりがちな彼ではあるが、今作で発揮していた演技力は素晴らしかった。そして、ブロードウェイでのレビューシーンなど各所で卓越したダンスを見せていた笙乃茅桜も印象に残っている。

 『ファントム』以来、雪組は組全体の成長が著しいように思う。彩風咲奈と彩凪翔はもちろん、朝美絢は今作で『グランドホテル』以来の女役をかなり高い水準で演じてみせたし、綾凰華や縣千といった若い組子もメキメキと頭角を現している。今回がラストチャンスとなった新人公演*2で主役を射止めた諏訪さきもこれからが楽しみだ。そんな雪組にあって、組を長年に渡って支えてきた舞咲りんと早花まこの両名が今作を持って宝塚を退団することになった。舞咲りんと言えば、その歌唱力とダンス力にはもはや言及するまでもないだろう。芝居はもとより、ショーでの活躍には目覚ましいものがあった。今回務めるエトワールでも、「これぞ娘役の歌唱」というものがあった。『ファントム』でのカルロッタ役で見せたあのパフォーマンスは、いつまでも語り継がれるに違いない。そして早花まこは舞台での活躍はもちろん、機関誌『歌劇』での組日記が彼女の代名詞となっている。あのすばらしい文章をもう読むことが出来ないと思うと、悲しい限りだ。お二人とも、本当にお疲れ様でした。

 

*1:宝塚の団員のこと

*2:入団7年目までの組子だけで構成される公演