感情の揺れ方

それでも笑っていたい

感想:雪組公演『fff フォルティッシッシモ─歓喜に歌え!─/シルクロード~盗賊と宝石~』

 現雪組トップコンビ、望海風斗・真彩希帆の退団公演が幕を開けた。2020年は新型感染症の流行を受けて世界全体が様々な影響を受けた年であり、2021年になってもその状況は変わっていない。この『fff』もまた、本来の上演スケジュールから変更を余儀なくされた。変更をしなければならなかったのは、おそらく公演日程だけではなかっただろう。感染症対策が徹底され、社会状況がいくらか改善し再び上演が再開されるようになったとはいえ、以前と同じような形式で公演を打つことは出来ていない。宝塚の大きな特徴である「オーケストラの生演奏」は中止され、密集を避けるためにおよそ80人という出演者はAチームとBチームに分割されている。かつて当たり前だった「華やかで夢々しい世界」はその姿を変えた。変えなければならなかった。

 しかし、それでも宝塚歌劇団のポリシーは変わっていない。今届けられる最高のものを届けること。今作の作・演出を手掛ける上田久美子氏の演出に、その心意気を感じさせられた。多くの演出家を抱える宝塚歌劇にあって、上田久美子という演出家は「宝塚とはなにか」を常に念頭に置いた作品を生み出しているように思う。物語はまずモーツァルトテレマンヘンデルといった時代を築いた天才たちが、天国の扉を前に天使たちと口論しているところから始まる。天使によれば、彼らが未だ天国の扉を通ることが出来ないのは本来神のものであった音楽を貴族のために使い出したからだという。三人は憤るが、彼らの後継者が音楽をどのように扱うによって彼らの処遇が決まると天使が告げたため、下界を見下ろす。そこにいたのは、オーケストラを指揮するルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(望海風斗)だった。まず、この場面の演出が素晴らしい。スポットライトをその背に受けるルートヴィヒが立っているのは銀橋ではなく、まさしくオーケストラピットにある指揮台の上なのだ。本来ならばそこには、実際に楽器を携えたオーケストラの面々が座っているはずなのだが、今現在虚しい空間が広がっている。しかし上田久美子は、そのような状況すら演出に組み込んでみせた。指揮台にはトップスター望海風斗を、ピットには炎を模した姿の楽員たちを。ハンディキャップすらも演出に用いる上田久美子の手腕にさまざまなものを感じ、涙せずにはいられなかった。オーケストラが交響曲第3番『英雄』を奏でるなかルートヴィヒは銀橋のセンターに移動し、続けて両花道にナポレオン(彩風咲奈)とゲーテ(彩凪翔)が現れる。フランス革命後の動乱を生きた三人のスターたち。この三人に共通するものはなにか。

「神を恐れるどころか、人間の力を信じ、人間であることを叫び、その声で天を突き上げようとしている!」

       ──モーツァルト

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(望海風斗)

 『fff』という作品が描くのは、「人間」である。かつて教会の、神のものであった音楽を人間のものにしたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを通して、「運命を前にして人間という存在に何が出来るのか」を描く。だからこそ、この物語の主人公は”楽聖ベートーヴェンではなく”人間”ルートヴィヒなのだ。貴族の支配にNOを突きつけたフランス革命はまさしく人間の、人間個人の勝利を歌い上げる出来事だった。ルートヴィヒはその思想に共感し、自らの音楽によって人間という存在を照らそうとする。作品を通じて彼を「ベートーヴェン」と呼ぶのはサリエリメッテルニヒといった、「体制側」の人間だけというところにも、演出の徹底ぶりが見える。物語はここからナポレオンへの傾倒と決別、ゲーテとの衝突、愛する人との別れなど、楽聖の人間らしい部分にクローズアップしながら進んでいくが、この作品で特徴的なのは「ナンバー(曲)の多さ」と「謎の女(真彩希帆)というキャラクター」だろう。上田久美子の演出した作品に共通するのは出演者の歌う場面の少なさで、特に『神々の土地』ではヒロインにすら歌う場面がなかった。しかしこの『fff』は違う。望海風斗と真彩希帆を筆頭に、ミュージカルらしい場面が随所に散りばめられている。それはおそらく「ベートーヴェン」という題材に由来するだけではなく、この作品が「望海風斗と真彩希帆の退団公演だから」だろう。百年を超える歌劇団の歴史の中でも屈指の歌唱力を誇る二人が退団公演で演じるに相応しいキャラクター、物語。上田久美子が出した結論が『fff』という作品そのものなのではないだろうか。「真彩希帆が演じるのは”謎の女”」というのも面白い。物語の結末に深く関わる部分であるため直接的な言及は避けるが、ルートヴィヒにしか見えない存在として登場するこの「謎の女」を真彩希帆が演じるという発想がすごい。そして、彼女自身の特異とも言える演技力で「謎の女」を演じきった真彩希帆のパフォーマンスシーンは素晴らしいものだった。

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謎の女(真彩希帆)

 そして次期トップコンビである彩風咲奈・朝月希和のパフォーマンスも素晴らしかった。彩風は燃え尽きるように生きたナポレオンを丁寧に演じていて、物語後半、雪原の陣中でルートヴィヒと語り合う場面が印象に残っている。朝月はルートヴィヒの幼馴染みで初恋の相手であるロールヘンを儚げに、たおやかに生きていた。花組から雪組雪組から花組、そしてまた花組から雪組のトップ娘役にと、目まぐるしい異動を経た彼女の負担は想像に難くないが、トップ娘役としての活躍に期待したい。ロールヘンの夫でありルートヴィヒの親友であるゲルハルトもまた難しい役どころだったが、朝美絢のパフォーマンスも良かった。端正で派手なビジュアルが取りざたされることの多い彼だが、望海風斗のもとで抑制した魅力を持ち始めたように思う。彩風咲奈のもとで新生雪組を支えるに申し分ない男役ではないだろうか。そして、この作品をもって退団する彩凪翔にも言及しなければならない。華のある男役として雪組を長年に渡って支えてきた彼の退団は寂しい。彼の演技力には特筆すべきものがあった。『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』のジミー役で見せたパフォーマンスには忘れられないものがある。初めてのバウホール単独主演となった『春雷』で演じたゲーテを退団公演で再び演じるという巡り合わせに、運命のようなものを感じずにはいられない。

   

 ショー『シルクロード』は、生田大和氏が初めて手掛けるレビューであること、楽曲を菅野よう子氏が担当することで発表時からファンの間では話題になっていた。そしてこちらの作品もまた、望海風斗・真彩希帆の歌唱力を最大限にフィーチャーすることで二人の送り出す、素晴らしいショーだった。

 特に印象に残っているのは終盤のシーン15。上海の夜を彩るナイトクラブ「大世界(ダスカ)」を舞台にした場面で、真彩希帆がクラブの歌姫を演じているのだが、この曲がまさしく「真彩希帆にしか歌えない」曲なのだ。具体的に言えば宝塚には珍しい「ラップ調」の曲なのだが、真彩のノビノビとしたパフォーマンスには思わず笑ってしまう。羽織夕夏・有栖妃華という歌唱力に秀でた二人の娘役を両脇に従えた彼女の凄みは、いつまでも語り継がれるだろう。余談だが、生田大和氏は『CASANOVA』でも仙名彩世たちにラップを歌わせているので、そういう演出が好きなのかもしれない。

 印象に残っている場面はもうひとつあって、シーン6で彩風咲奈・朝月希和のコンビが見せたダンスが素晴らしかった。この二人は『Music Revolution』でも素晴らしいダンスパフォーマンスを見せていて、新たな雪組の未来を感じずにはいられない。

 非常に見応えのあるショーだったように思う。この作品で退団する笙乃茅桜や煌羽レオ、真地佑果、ゆめ真音、朝澄希に、最大限の拍手を送りたい。

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彩風咲奈・朝月希和