感情の揺れ方

それでも笑っていたい

映画『容疑者Xの献身』

 東野圭吾原作の『ガリレオ』シリーズがテレビドラマ化されたのはいつだったかなと思い調べてみると、ファーストシーズンは2007年の放送でもう13年も前だった。東野圭吾の小説を読み漁っていたころが懐かしい。例えば「青春小説を一冊挙げるとしたら」と聞かれたら私は確実に「東野圭吾の『魔球』」と答えるのだが…それは割愛しよう。

 当時中学生の私はもちろんそのドラマシリーズをリアルタイムで視聴していたのだが、続く2008年に公開されたこの映画『容疑者Xの献身』は見ていなかった。2020年の世界を包む雰囲気の中、外にも出られないしなとアマゾンプライムをさまよっていたところあの湯川学と再会を果たしたので、早速見ることにしたのだ。

 映画はまず、何と言えばいいのか、ものすごく引きの強いシーンから始まる。福山雅治のあの声をバックに、4つの小さな鉄球を使った実験が始まり、あれよあれよという間に大爆発、そして炎上。シリーズの特徴である科学の原理を応用した推理シーンを映画らしく派手に使って物語が進んで行くのかと思わせるようなオープニングだが、ここから映画はとても静かに進んで行く。むしろ『ガリレオ』らしいシーンはこのオープニングくらいしかない。物語の冒頭、松雪泰子演じる花岡靖子は突然家に訪ねてきた元夫の富樫慎二を取っ組み合いの末に殺してしまう。人を殺めてしまった靖子と娘の美里は呆然と将来を悲観するが、堤真一演じる隣人の天才数学者石神哲哉が母娘に手を差し伸べる。そして12月2日、旧江戸川で死体が発見され、刑事の内海薫と草薙俊平が現場に到着。捜査が始まり、警察は死体を富樫慎二と断定し、捜査線上に靖子が浮かび上がった。しかし犯行当日の彼女には完璧なアリバイがあり、捜査は難航する。同じ日同じ時間、別の場所に同じ人間が存在しなければ不可能な犯行に頭を悩ませた内海と草薙は帝都大学准教授の物理学者、湯川学を尋ねるが、「アリバイは科学の領分ではない」と一蹴されてしまう。捜査は方針の変更を余儀なくされ、富樫が裏カジノで借金をしていたことからその線でも調査が進むが、一向に収穫はない。しかし、花岡靖子の隣人が石神哲哉であることを知った湯川は態度を変える。湯川と石神は大学時代の同期であり、石神は湯川をもって「数学の天才」と評されるほどの人物であったのだ。「捜査に協力するわけではない」と内海らに告げ、湯川は個人的に、友人として石神と再会する。数学の問題を夜通し語り合った二人は、翌朝石神の通勤する道をともに歩く。川のほとりに、車の行き交う車道の脇。

   

 この映画に繰り返し登場するモチーフのひとつに、「川」や「道」、「壁」といった「空間を隔てるもの」がある。この物語は「隔たりを生もうとする者」と「その隔たりを超えようとする者」の物語なのかもしれない。もちろん前者が石神哲哉であり、後者が湯川学である。そして、『容疑者Xの献身』において、湯川学と石神哲哉は終始一貫してまったく正反対の存在として描かれている。同じ大学の同期でありながら、若くして准教授として活躍し大講義室で教鞭を振るう湯川と、家庭の事情で数学研究の第一線を離れ崩壊寸前の教室で高校数学を教える石神。内海と草薙に繁華街で中華料理をご馳走してもらう湯川と、靖子が経営する弁当屋で毎日5、600円の弁当を買う石神。学生時代と比べて見た目の変わらない湯川と、すっかり老け込んでしまった石神。二人の友情に隠れている形ではあるが、そこには徹底的なまでの溝が存在している。背筋の曲がり覇気のない石神を表現しきった堤真一の演技が素晴らしい。福山雅治の隣に立つ彼は実際の身長差よりもかなり小さく見えて、その丁寧な画面作りにも敬服する。そしてその「若いままの君が羨ましい」という石神の言葉に、湯川は確信する。石神が恋をしているということを。そして、石神が花岡靖子を手助けしたのだということを。ここにも湯川と石神との対比がある。作品の冒頭、先述した実験のシーンで湯川は内海に対して「愛について考えるなど無駄だ」と言い捨てている。誰かを愛する者と、そうでない者。この越えがたい溝が、二人の間には横たわっているのだ。

 「殺人の方が彼には易しいはずだ」という石神への称賛を胸に、湯川は事件の調査を進めていく。あくまでも個人的に。やがてある仮説にたどり着いた彼は、石神から登山に誘われる。「今登らなければ、もう登れないかもしれない」と。寒風吹きすさぶ山小屋の中で、湯川は石神に話し出す。核心には触れないように。「君が友達だからだ」という湯川の言葉は、石神が築いた隔たりを超えようとする気持ちの表れだろう。しかし石神は差し伸べられた手を拒絶する。石神は自首をしたのだ。富樫慎二を殺したのは自分だと。果てしなく綿密に考えられた動機、手段、一分の隙もない準備のもと、自らを靖子のストーカーに仕立てあげたのだ。靖子と美里に、一切の疑いがかからないように。愛した人に別れを告げて。留置所の天井を使って四色問題の計算をする彼の表情は、どこか晴れやかなものだった。ひとつの色は、隣同士と同じ色になってはならない。石神は靖子とも湯川とも、最後まで交わることはなかった。そこには、徹底した献身があった。そして、その感情を湯川もまた最後まで理解出来なかった。「君の頭脳をこんなことに使わなければならなかったことが悔しい」という彼の言葉を、石神も理解出来ないだろう。石神は、靖子と美里に救われたのだから。それは誰に理解される必要もないと石神は思っているのだから。

 もうひとつ、この作品に登場するモチーフがある。「雪」だ。富樫慎二との揉み合いのきっかけは、渋々部屋を出ようとする富樫の後頭部を美里が殴打したことだったが、その時に使われたのはスノードームだ。次に雪が登場するのは、先述した登山のシーンである。この作品において、「雪」は「何かが終わるとき」に使われている。スノードームのシーンは「靖子と美里の平穏な生活が終わること」を、雪山では「湯川と石神との友情が終わること」を。そしてラストシーンでも、石神との思い出の場所で内海と話す湯川の頭上にも雪が降り始める。

 この作品のMVPはやはり、堤真一だろう。石神哲哉という人物を、あそこまで静かな表現で演じきるというすごさ。

 

 

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

  • 作者:東野 圭吾
  • 発売日: 2008/08/05
  • メディア: 文庫