感情の揺れ方

それでも笑っていたい

週間日記(3/16~3/22)

 3/16(月):消毒液の匂いが鼻に、肌に、心臓にこびりついていく。コロナウイルスの流行が医療機関に与える影響は大きく、面会は基本的に断られていた。可能なのは一部の親族、それも病院側から面会の要請があった場合に限るという対応も、情勢を鑑みれば当たり前のことだろう。脇で体温を計るのは久しぶりだなと、ともすれば能天気なことを考えていたのは何故だろう。思考が連れてくる現実的な湿度、テクスチャへの拒否感、かもしれない。よくわからないが。滋賀の天気、特に山側の天気は不安定で、日差しが強いなと思えばすぐに雨が降り出し、時間によっては雪がちらつくという様相だった。窓に打ち付ける雨と不規則な電子音を耳に感じながら、自分が小さかったころのことを思い出そうとする。舗装もされていない山道を駆け回り、野良犬の行動パターンを念頭に入れながら友達と遊ぶ。一部の人にはもはや概念でしかないような田舎で過ごした幼少期の、たった数年間。いや、もしかすると半年くらいだったかもしれない。あの半年間と、それ以降会っていた時間を比べたとして、どちらの方が長いかをはっきりさせることは出来ないなと思う。どこか自分がこの場所にそぐわないような気がして何かと「うん」で済ませていたあのころの私に、「『いや』って言わないのはあなたの良いところね」という言葉は重かった。だって、まだ私はこの言葉を覚えているのだ。二階に上がる階段の高さ、敷かれた畳の色、仏壇の向き。そのすべてを、まだ私は覚えている。3月に入り、日に日に長くなっているように感じる太陽も、あっけなく沈んでしまった。混雑する県道をぼんやりと運転する私の手には、まだ消毒液のにおいが残っていた。途中で買ったコーヒーには、いつもより多めの砂糖を入れて、ゆっくりと味わった。

 

 3/17(火):芸人のラジオを聴く一日だった。「バナナムーン」から「オードリーのオールナイトニッポン」というリレー方式。「バナナムーン」は恒例になっているホワイトデーのお返し企画で、ADに貰ったバレンタインチョコのお返しをスタッフも含めた全員が持ってくるという流れになっているのだけれど、今年はなんだかあまり楽しめなかった。一番センスがあるお返しと一番センスがないお返しを決めましょうというざっくりした方向性があるため、それぞれのプレゼントをそれぞれがけなし合うというくだりが生まれる。そして、それがあまり面白くないなと思ってしまった。去年はたしかそんな風には思わなかったように記憶しているので、どうして今年に限ってそう思ったのかは分からない。もちろん全員が本気でけなしているのではないことは理解しているのだけれど、演者ではないスタッフが持ってきたものまで「センスない」という言葉でディスっているやり取りを聞いていると、どうしても面白くなかった。プロレス感が足りていなかったからなのか、ドキュメントに寄りすぎていたからなのか。もう2020年だぞ、というか。その人が考えたことをその人が発言する、というラジオの性質上、出演者の言葉はどうしても「真実」ないし「本心」として捉えられてしまうものだけど、先週の放送はそれが悪い方向に作用していたような気がする。あくまで私は、という話。その一方でオードリーの2人は一貫してラジオでは「ネタ」を話している。エピソードトーク、と言い換えてもいいかもしれない。若林がときどき話す「自分には後輩力がない」というエピソードも春日が奥さんと下町を散歩したという話も、どこかにジョークめいた雰囲気を孕んでいる。決してドキュメンタリーではなく、これはエンターテインメントなんですよ、とでもいうような。どちらが良いとかそういう話ではない。好みの問題。エンタメ業界に向けたエントリーシートを書きながら、色々なことを考える。しんどいものがあるぜと、ケタケタ笑うしかない。

 

 3/18(水):朝早くに起きて、白いシャツのボタンを一番上までしっかりととめて、普段は使わない色のネクタイを締める。連綿と受け継がれてきた儀式に際する所作は、一体何のためにあるのだろう。そんなことを考えながら車を運転して、琵琶湖大橋を渡る。通勤ラッシュの時間帯ではあるけれど、琵琶湖の西岸を北上する道に車の姿はまばらだった。近頃は高島市の方も徐々に開発が進み、おしゃれな飲食店などもオープンしてはいるが、合併されるまでは別の自治体だった場所は未だに閑散としている。琵琶湖と湖西線の線路、そして山の間には本当にわずかな土地しかないのだから、仕方のない話ではある。そもそも人の住むことが出来る面積が少ないのだ。思うに、儀式に際する所作は、「祈りの証明」なのではないだろうか。祈りは本来心の所作でしかないが、心を誰かに突き付けて見せつけることは出来ない。その人が本当に祈っているかは、分からない。だからこそ、ある一定の動作、振る舞いをもって「祈りの証明」とするのだ。彼は手を合わせている、彼女は十字を切っている、だから祈っている。その積み重ねが儀式であり、慣習なのだろう。本来は「祈っているから手を合わせる」はずだったものが「手を合わせているから祈っている」に変化してしまったことは、まさしく本末転倒ではあるが。「所作」が「祈りの証明」であるならば、果たして私の祈りは彼女に届いていただろうか。琵琶湖を眼下に眺めながら、そんなことを思った。

   

 3/19(木):徐々に日常がその呼吸を強くしていく。ようやく、と言っていいかもしれない。正直なところまだ本当にバタバタとしていて、しんどさが勝っているけれども。ハチャメチャに楽しかった2月とは打って変わって、ここまでの3月は本当にしんどい。推しが今日も可愛いねということくらいしか日々の励みがない。今日はいつも通りの時間に起きて、ぼんやりと朝ご飯を食べることが出来た。なんということはない日常を、たったの3日過ごせなくなっただけでも人間の神経は疲弊する。3月中はそのような「非日常」を過ごさなくてはならない人のことを思うと、本当に頭が下がる。宝塚もまた休演の延長を発表した。同時に、22日の雪組公演大千秋楽は実施の可否にかかわらずスカイステージで生中継するという発表も、なされた。これが、宝塚なのだ。一人の人間が、命を削って創り上げたものを届けなければならないのだという気概。そこには客席を解放出来るとか出来ないとか、そんなことは関係ないのだ。それぞれの出演者が、命を懸けて創るものがある。それを、どうにかして届けなければならない。『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』という作品を、誰かに届けなければならない。それが宝塚歌劇団というエンターテインメント集団の考えなのだということだ。早花まこ、舞咲りん、美華もなみという役者が最後に立つ舞台の幕を、なんとしても上げなければならない。その考えを宝塚歌劇団が示してくれたことが、嬉しい。そろそろ、いつもの日記の雰囲気に戻りたいと思う。今日は朝ご飯を食べたあと、タイヤの交換をしてもらうためにディーラーへ行った。ここ数日は本当にぼんやりとしていて、タイヤ交換なのにホイールキャップをもっていくのを忘れてしまった。ダメダメだ。私にとっても二度手間で、ディーラーにとっても二度手間。恥ずかしくて仕方がない。午後から夜にかけて、作業をして過ごす。就活は、なんとなく不毛だ。

 

 3/20(金):春分の日。自然を称え、生物をいつくしむことを趣旨としているらしい。どうだろう、今日の自分はそういう風に生きることが出来ていただろうか。称えるとは、いつくしむとは何かという、そういうところから考えなければならないのでもうこれくらいにしておきたい。午前中は伸びた髪を切りに行った。もう10年以上同じところで切ってもらっている。モニターで流しているのは9割くらいの確率で『トイストーリー』なのだが、10年も断片的に見ているとちゃんと一本丸々見たことがなくてもなんとなく話を理解できたような気になってくる。あと、最近はインターネットの影響でウッディを見ると阿部寛のモノマネをする芸人が浮かんでくる。悪いインターネットだ。帰宅してからは家のことをしたり、昼寝をしたり。昼下がりくらいから外出。電車に乗って京都へ。友人と合流して、まずは高瀬川沿いのお店でクラフトビールを飲んだ。もう少し気温が高ければ川辺に座って飲めたのだけれど、いかんせん今日は風が強かった。服装が難しい。「ほうじ茶スタウト」や「2020年宇宙の旅」といった珍しい名前のビールはどれも美味しかった。

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2020年宇宙の旅

  1時間くらいゆるく話したあと、お店を出て予約していた2件目に向かう。京都の路地は三連休と言うにはすこし人が少ないような気がした。先入観のせいもあるかもしれない。お店はもうめちゃくちゃ正解で、ワインを飲みながら美味しいお肉を食べて、もう快感と言って良かった。美味しい食事は、紛れもない快感です。今日は就職で東京に行く幼馴染みの送別会だったのだけれど、コロナの影響で新入社員研修もテレワークになってしまい、もう1ヶ月くらいはこちらにとどまることになったらしい。たぶん来月も集まるだろうな。来月も、来年も、その次の年も、ずっと集まれたらいいなと、そう思う。

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牛肉!

  3/21(土):春みたいな陽気の日。このまま暖かくなって欲しいけれど、そう考えてからだいたい1日はめちゃくちゃ寒い日が来る。地球はそういう風に出来ている。朝ご飯を食べて、午前中から外出。まずは近所の家電量販店に行って、気がついたときには「どうぶつの森」を買っていた。怖いな。怖い話だ。その後はこれまた近所のスーパーで買い物をして、物心がつくかつかないかくらいの頃から通っているラーメン店でお昼ご飯を食べた。そう!この味!という味がして、美味しい。なんというか、ラーメンを食べても焼き飯を食べても「このお店の味」がするのだ。あと、唐揚げがめちゃくちゃ美味しい。何の肉かもどこの部位かも分からないけれど。たぶん鶏。それから薬局に寄って帰宅。めちゃくちゃゲームを始めたかったけれど、我慢して作業を進める。そして、夕方からいよいよ「どうぶつの森」。久々にやるシリーズで、小学生のころはサカナもムシもコンプリートしていたことを思い出す。今作は無人島を開拓する、みたいなコンセプトで、島の名前は滋賀っぽいやつにした。作業感もありつつ、コンプリート要素もありつつ、というスローな雰囲気が好きだ。switchとの相性もいい。これはちょっと時間が消えていきそう。

 

 3/22(日):三連休最終日。自粛ムードが残っているかなと思いながら京都へ出かける。正直一番閑散としていた時期よりは人影が戻ってきているような印象があった。ざっくり言うと、普段の混雑から外国人観光客をごっそり引きました、という光景。もちろん、決して混雑はしていなかった。お昼ご飯は親子丼。海鮮丼を抑えて好きな丼物ランキング第1位でございます。大学の近くにあったなか卯にはときどき通っていました。2位は海鮮丼で、3位はカツ丼。ただ海鮮丼と言っても種類によるし、カツ丼も種類による。カツ丼は卵とじのものよりもソースカツ丼(ヨーロッパ軒のあれ)やタレカツ丼(新潟のあれ)が好きだし、海鮮丼も色々てんこ盛りのものよりも何かひとつかふたつみっつくらいの魚がのっている方が好き。すいません、興味ありますか、これ。ささっと買い物を済ませて、ささっと帰宅する。そして、15時半からスカイステージで生中継される雪組公演『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の大千秋楽を見る。こういう状況の中で、幕を上げるという決断をした劇団には頭が下がる。なんというか勝手な推測にはなるけれど、「客席に観客を入れなければならない」という思いよりも「命を懸けて創り上げたものを届けなければならない」という意思のもと幕を上げたような気がしてる。望海風斗が挨拶で流した涙が、そのすべてを物語っていた。エンタメが当たり前にある毎日が戻ってきてくれることを、切に願う。そしてまた、自分には何が出来るのかを考えている。