感情の揺れ方

それでも笑っていたい

劇評:ミュージカル『天使にラブソングを~シスター・アクト~』

 『天使にラブソングを』と言えば、もはや説明するまでもないかもしれない。ウーピー・ゴールドバーグ主演で1992年に公開された、あのハリウッド映画である。この作品が初めてミュージカル化されたのは2006年のアメリカで、日本での初演は山田和也を演出に迎えて、2014年。主役のデロリスは森公美子瀬奈じゅんで、2016年から2017年にかけて行われた再演は森公美子蘭寿とむ、そして今回の再々演では森公美子朝夏まなとダブルキャストになっている。宝塚の元トップスターが脈々と受け継いできたこのデロリスというキャラクターだが、実際に観てみるとなるほどパワフルさが求められる役どころであり、そこに元男役のスキルは活かされるだろうなという印象があった。そして何より、痛快なエンタメ作品だった。あらすじは以下の通り。先述した通りデロリスは森公美子朝夏まなとダブルキャストだが、私が観たのは朝夏まなとの公演である。

 1977年、ディスコブーム華やかなりし頃のフィラデルフィア
 天真爛漫なデロリス・ヴァン・カルティエは(朝夏まなと)は、クラブ歌手としてステージに立つことを夢見ている。けれど愛人でギャングのボス、カーティス・ジャクソン(今拓哉)は、自分が経営するナイトクラブで歌わせてくれず、はぐらかすばかり。しかもクリスマスプレゼントにと彼の妻の毛皮を渡され、とうとうデロリスは我慢の限界に!カーティスと別れて自分の力で道を切り開こうと決心する。
 そんな矢先、カーティスが子分のTJ(泉見洋平)、ジョーイ(KENTARO)、パブロ(林翔太)と共謀して仲間を殺すのを目撃してしまったから、さあ大変!殺人事件の目撃者となったデロリスは警察に助けを求め、そこで高校の同級生だった巡査のエディ・サウザー(石井一孝)と再会する。エディはデロリスを保護するのに完璧な場所を思いつく。
 エディがデロリスを連れてきた場所、それはクイーン・オブ・エンジェルス教会。デロリスを修道女に変装させて、カトリック修道院で匿おうというのだ。修道院長(鳳蘭)は反対するが、資金難の教会に警察から寄付があるからというオハラ神父(小野武彦)に諭され、しぶしぶ承諾する。デロリスは素性を隠し、シスター・メアリー・クラレンスとして、シスター・メアリー・ラザールス(春風ひとみ)、シスター・メアリー・パトリック(未来優希)、シスター・メアリー・ロバート(屋比久知奈)たち修道女と生活をともにすることになる。
 デロリスが来て早々、規律厳しい生活を送ってきた修道女たちは、破天荒な彼女の言動に振り回されてしまう。見かねた修道院長は、デロリスに当分は聖歌隊に参加する以外のことはしないようにと伝え、デロリスは歌が歌えることに喜ぶ。ところが、あまりにも下手な修道女たちの歌に絶句。そこでデロリスは、クラブ歌手として鍛えた歌声と持ち前の明るいキャラクターを活かし、聖歌隊の特訓を始める。デロリスに触発された修道女たちのコーラスはみるみる上達、やがて聖歌隊は注目を集めるように。そのおかげで修道院には寄付が集まり、売却の危機も乗り越える。けれど聖歌隊の噂がギャングたちの耳に届くのは、もはや時間の問題だった…。
 果たしてデロリスは無事に切り抜けることが出来るのか?修道院聖歌隊を巻き込んだ一大作戦が始まる! ──公演プログラムより

 なんと言えばよいのか、この『天使にラブソングを』は非常にハッピーな作品である。それもクリスマスにピッタリな、悪く言えば「何も考えなくていい」作品だ。キャッチーなディスコミュージックが目白押しで、みるみるうちに物語の世界に入り込むことが出来る。ストーリーは分かりやすく進み、あっという間にクライマックスへ突入する。しかし、この作品が扱っているテーマは、その実意外なほどに重い。それは簡単に言ってしまえば、「異なる価値観を持つ人たちは分かりあうことができるのか?」ではないだろうか。例えば型破りで破天荒な彼女と規律正しい生活を送るシスターたち、特に修道院長との対立はこの作品を貫く柱になっている。そしてそれ以上にフェイタルな対立は、「人種間の壁」であるように思う。デロリスのルーツはアフリカにあり、修道院長は白人だ。人種に根差す差異は、音楽にも表れている。16ビートのメロディをデロリスは高らかに歌い上げるが、白人であるシスターたちにはそれが出来ない。ソウルフルな聖歌をシスターたちが初めのうちは歌うことが出来ないという点に、フェイタルな差異が描き出されている。デロリスの尽力によって聖歌隊の歌唱力が向上し、教会を救い、音楽を超えてデロリスとシスター、そして修道院長とも手を取り合うことが出来るという一連の結末は果てしない希望の物語であり、奇蹟と言って差し支えないだろう。92年の公開当時、作り手たちがそんなことを想定していたかは分からないが、この作品の持つ現代的な意味は大きいように思う。大きな壁を乗り越えなければならないときというのが、誰しもにある。そんなときに必要なものはなんだろう。それはきっと、「愛」なのだ。デロリスの持つ歌への愛、シスターたちの持つ神への愛、そして隣人愛。惜しみない愛と共にあれば、何かが起きるのではないか。現代においてはまさしく「神話」になってしまったように感じられる、しかし紛れもない美しさをこの『天使にラブソングを』は描いている。デロリスから譲り受けたFMブーツをメアリー・ロバートが履いているフィナーレには、グッとくるものがあった。

 

 ここからは個々の出演者に話題を移したい。まず主演の朝夏まなとは、その圧倒的なスタイルと存在感で素晴らしい舞台さばきを見せていた。歌もすこし、特に高音が不安定なところはあったけれど、ソウルフルな低音には迫力があり、聖歌隊の練習で初めてデロリスが歌うシーンは白眉だ。そしてやはり鳳蘭の演技がすごかった。存在感はもちろんのこと、朝夏まなとや小原武彦との掛け合いは非常に巧みで、この人がいなければコメディ的な側面は成り立たなかっただろうと思う。

 なんとなく気にかかったところは2つあって、まずカーティスというキャラクターが本当に悪人として描かれていて、すこし浮いていたように思う。この人だけギャング映画じゃないか?と言えばいいだろうか。ラストシーンではすこしコメディチックだったけれど、そこまでは悪役だっただけにまだ薄まっていない感じがした。もうひとつは、作品全体で緩急が激しかったように思ったという点。具体的には、ひとつひとつのナンバーがキャッチーかつダンサブルで耳に残りやすいので、それに続く会話パートが平坦というか、いくらか地味な雰囲気になっているような印象があった。BGMが抑え気味だったことも関係しているのかもしれない。