感情の揺れ方

それでも笑っていたい

劇評:小林香演出『モダン・ミリー』

「ニューヨークに生まれることは誰でも出来るわ。でもここへ来るには、勇気と想像力がいる」

 「越境」が大きなテーマのひとつとなっている『モダン・ミリー』という作品の中にあって、もっとも印象的かつ作品そのものを端的に表現しているセリフはこの一節だろう。マジー・ヴァン・ホスミア(保坂知寿)──マンハッタンのペントハウスに居を構える歌姫──が、モダン・ガールに憧れてカンザスからニューヨークにやってきたミリー・ディルモント(朝夏まなと)に、自分も田舎からここに出てきたのだと打ち明ける中で紡がれる言葉ではあるが、しかし『モダン・ミリー』で描かれる「越境」は何も物理的なそれに限定されるものではない。無一文なのであって決して貧乏ではないミリーとミス・ドロシー・ブラウン(実咲凜音)との友情。ミリーの目標はボスと結婚して「上昇」すること。ミリーがニューヨークで最初に出会った人間であるジミー・スミス(中河内雅貴)と、そしてドロシーにもある「境界」を越えて、やらなければならないことがあった。ミセス・ミアーズ(一路真輝)のホテルは「越境」のモチーフで満たされている。それぞれが借りる部屋、タップを踏まなければ動かないエレベーター。なによりミセス・ミアーズこそが「越境」のネガティブな側面を担う存在でもある。ミアーズが下宿を経営しているのは、夢を追いかけてニューヨークにやってきた身寄りのない女優志望の若者たちを眠らせて、アジアへ売り飛ばすためなのだ。マジーとミアーズとの間にあるこの対比は素晴らしい。「越境」のモチーフは舞台セットにも見て取れる。ときにマジーの住むペントハウス、ときにミリーの働くオフィスビルとなるセットは三つのフロアが階段と梯子で垂直に繋がれたような形になっていて、各フロアをそれぞれの人物が縦横無尽に動き回る。特にミリーは無一文の間は一番下に、トレヴァー・グレイドン(廣瀬友祐)に実力を認められ働きだしてからは一番上に。ジミーとの関係が進展していくにつれ、二人が立つ場所も上へ移動していく。それぞれが自らの殻を破り、今まで知らなかった世界に足を踏み入れ、そこで新たな人と出会い、手を取り合う。いささかパワフルなミュージカルではあるが、それを破綻させずにエンディングを迎えることが出来ているのは各演者の技量と演出家の指揮のなせる技だろう。未だ悲しいニュースの多い演劇界にあって、観客を幸せな気分にさせてくれる作品だった。

   

 ここからは各演者に焦点を絞っていきたい。まずは主演の朝夏まなと。やはり舞台で見せる存在感には別格のものがある。持って生まれた、いや鍛え抜かれた華。『マイ・フェア・レディ』を経てさらに磨かれたような印象を受ける。そしてコメディ作品との相性は抜群。あの端正な佇まいが布石となっていて、笑いに必要な緩和、ギャップを生み出すのが上手い。中河内雅貴ジミー・スミスは正直なところ、第一幕を見る限りでは存在感が薄いというか、他の人物に食われているなと感じたものの、そこに彼の俳優としての上手さがあった。存在感の消し方が巧みで、ジミーというキャラクターをこの脚本の中で成立させるための表現が的確。ミス・ドロシー役の実咲凜音は面目躍如といったところ。浮世離れした雰囲気を身にまとっているのが立っているだけで分かる。その空気感で観客の見る目をくらませるというか、中河内と同じく結末に対するアプローチが上手い。トレヴァーと出会って恋に落ちる場面で見せたダンスも素晴らしかった。もちろんそのトレヴァーを演じた廣瀬友祐のパフォーマンスも見事。大袈裟なまでの身体表現がうるさくならないのは彼の実力がなせる技だろう。エンディングを迎えてなお「トレヴァー、頑張れ」と観客にキャラクターのその後を思わせることが出来る俳優というのは、そう多くない。脇を支えていたのは保坂知寿一路真輝。この二人が現れると雰囲気が変わって作品がグッと締まると言えばいいのか、取っ散らかって脱線しそうな空気感をしっかりと繋ぎとめてくれるような懐の深さがあった。かたや唯一と言っていい悪役、かたや謎めいたスター。この二人がほころぶと作品そのものが崩れてしまうという難しい役どころながら、そのパフォーマンスには素晴らしいものがあった。もちろん歌唱シーンは流石の一言。

 歌・ダンス・芝居、ミュージカルの醍醐味を観客に堪能させつつ、見た後には晴れやかな気持ちになる作品『モダン・ミリー』。人と人との触れ合いに大きな障害がつきまとうこの時代にあって、それでも自分の殻や枠を破って誰かの手を取ることの大切さを感じさせるミュージカルだった。