感情の揺れ方

それでも笑っていたい

マシュー・ヴォーン監督『キングスマン:ファースト・エージェント』

 2015年にシリーズ第一作『キングスマン』が公開されて以来、そのバシッと決めた英国紳士が繰り広げる痛快なアクション、ディティールの詰められたスパイガジェット、ユーモアとアイロニーに満ちたセリフとやり取りで大ヒットを記録し、「スパイ映画」の新たな代名詞となっている。第一作『キングスマン』では人口調整を目論む過激思想の慈善家、第二作『ゴールデン・サークル』では狂気に満ちた麻薬カルテルのボスがラスボス──いわゆる「ヴィラン」──であり、フィクショナルなエンターテインメントという要素が強かったが、今作『ファースト・エージェント』でマシュー・ヴォーン監督は大きく舵を切った。舞台を20世紀初頭、第二次ボーア戦争から第一次世界大戦終結するまでという史実を土台とし、ラスプーチンプリンツィプなど、実際に存在した人物を作品に登場させたのである。平和主義の信念を貫くため「キングスマン」を創設することになるオーランド・オックスフォードとその息子コンラッド第一次世界大戦に翻弄されていく。かつて戦争で妻をなくしたオーランドはコンラッドの従軍に断固として反対するが、命懸けの栄誉を求める幼さを止めることは出来ない。やがて襲う悲劇。映画の前半はサラエボ事件からの開戦、怪僧ラスプーチンとの対決をスタイリッシュな映像とアクションで描き、観客としては史実ながらも今までの『キングスマン』が始まったのだと、ここからの展開にも期待する。しかし、その期待はすぐに裏切られる。オーランドの尽力は英・独・露それぞれの王が持つ狂気に飲み込まれていく。すぐに終結すると思われていた大戦は何百、何千万の命を奪ってもなお終わらない。地獄のような塹壕でただ無残に、畜牛のように若者が死に絶える描写はまさしく「戦争映画」のそれであり、そこに英国紳士の礼節などというものは存在しない。そしてオーランドが再び立ち上がり、大戦を裏で操る集団との戦いを進めていく中で、ようやく思い至る。これはシリーズの新作ではなく「前日譚」であり、ここが始まりなのだということに。第一作、第二作で描かれたエージェントの創設理念がここにあり、歴史と共に彼らが存在してきたということを知れば、その二作の見え方すらも変わってくるだろう。ただなる「前日譚」としてだけではない力、パワーのようなものをこの作品は有している。第一次世界大戦という史実に触れた以上、そしてラストシーンがああいうものである以上、予定されているシリーズ新作品もまた史実の要素を多く取り入れることになるのは明白だが、マシュー・ヴォーン監督の手腕に期待したい。

   

 そして蛇足にはなるが、戦争の悲惨をより強いものとしていた教会のシーンでオーランドが引用していたのは実際に第一次世界大戦に従軍し、そして戦死したイギリスの詩人ウィルフレッド・オーエンの『甘美にして名誉なり』である。あぶくまみれになった肺から血が噴き出すさまを克明に描写し、その惨状を知る者は「祖国のために死ぬるは甘美にして名誉なり」という「昔からの嘘」を「命懸けの栄誉を欲する幼き者たち」には決して伝えないと断ずる。ここで「昔からの嘘」と一蹴されている「祖国のために死ぬるは甘美にして名誉なり」という一節は、古代ローマの詩人ホラティウスによるものである。オーランドと同じく、この作品の根底には「反戦」がある。

Dulce et decorum est pro patria mori

祖国のために死ぬるは甘美にして名誉なり

       ──ホラティウス

The old Lie: Dulce et decorum est pro patria mori.

あの昔からの嘘……祖国のために死ぬるは甘美にして名誉なり

       ──ウィルフレッド・オーエン