感情の揺れ方

それでも笑っていたい

さよなら西武大津 ──大津から百貨店が消える日──

 滋賀県大津市にある西武百貨店が、2020年8月31日をもって閉店する。1976年11月16日の開店以降、44年の長きに渡ってにおの浜の地で経営を続けてきたが、折からの経営不振でついに閉店することになってしまった。

 西武、そしてそのすぐ近くにあったパルコは、幼い頃の私にとって「週末に家族で買い物に行く場所」だった。あるいは「ちょっと値段の張る食事をする場所」だった。他の場所では買えないような化粧品を吟味する母、よそ行きの服を見繕う父。上階のレストランフロアで楽しそうに食事をする祖父母。思い出は今も鮮やかだ。

 しかし、世界を巻き込んだ不況の波に西武大津も飲み込まれていく。都市部の百貨店が経営不振に陥ったように、西武大津も窮地に立たされた。それはたったひとりの客でしかない私の目にも明らかだった。不振の影響がもっとも顕著に現れていたのはレストランフロアだろう。76年の開店当初に入っていた飲食店はひとつ、またひとつと撤退していき、7階と6階にまたがっていたレストランフロアはいつの間にか7階だけになった。祖父母と一緒に食事をしたお店はもうない。テナントの入れ替わりは加速度的に激しくなり、開店当時から残っているのはたったひとつ、串カツの「串の坊」だけだ。様変わりしていくのはレストランフロアだけではない。かつてあったいわゆる高級店がなくなり、「無印良品」や「アカチャンホンポ」が取って代わった。「ここでしか買えないもの」がそもそも存在しないようになったこと、そして「ここでしか買えないこと」が持っていた価値が今では失われてしまったこと。さまざまな小さい変化が、百貨店という形態にとっては大きな逆風になっていった。

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1976年当時のレストランフロアの案内表示

 インターネットや交通網の発達が与えた影響も大きい。そもそも滋賀県はとてつもない車社会で、一世帯あたりの車の所有台数は平均で1台を超えている。対して公共交通は貧弱と言う他なく、県内を走る電車はJRと京阪、近江鉄道だけだ。京阪は県南部のいわゆる湖南地域の限られた場所を走るだけで、とてもではないが全体をカバーしているとは言えない。近江鉄道近江八幡を起点に県東部を走り「ガチャ」「ガチャコン」などの愛称で親しまれているものの、1994年以来赤字経営を続けている。今月になってようやくICカードの導入が検討されるなど、現状は想像に難くないだろう。車でどこへでも行けるようになった滋賀県民、とくに湖南地域の県民にとって、大津は特別な場所ではなくなってしまった。高速に乗れば1時間もかからずに京都市の中心部へ行くことが出来るのだ。西武大津の最寄り駅である膳所駅には新快速電車が止まらず、利用者の少ない京阪電車での集客は見込めない。大津は官庁街としての側面が強くなり、買い物へ行くところではなくなりつつあった。

   

 それに拍車をかけたのが、2008年のイオンモール草津の開業だ。近江大橋のすぐ近く、幹線道路沿いということもあり、その集客力は開店当初からすさまじかった。この車社会にあって、百貨店以外の大型商業施設は駐車場が無料で開放されているということも大きかったのだろう。イオンモール草津はまず、ピエリ守山との競争に圧勝する。2008年、イオンモールよりも2か月ほど先に開業していたピエリ守山は始めこそ勢いがあったものの、フォレオ大津一里山なども含めた大型商業施設との争いに敗れ、2014年に一時閉店する。開業時200あったテナントは一時期たったの4店舗にまで減少し、「明るい廃墟」と呼ばれるようになったことを覚えている人もいるかもしれない。そして西武大津にとって最も大きかったのは、パルコが閉店したことだろう。競争の中でパルコも西武と同じように大型チェーンを中心とする店舗構成にフロアを変化させたが、2017年の8月31日を持って閉店してしまった。

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1976年当時のレストランフロアと、2020年7月のレストランフロアを同じ場所から写したもの

 そうなってしまうと、大津市の中心部が持っていた魅力はどんどん失われていく。車を持たない世代にはアクセスが悪い上に惹かれるものがなく、大人世代には「ここで買う必要があるのか」と思われてしまうようになった。正直なところ、西武大津の閉店が発表されたときに抱いたのは「だろうな」という感情だった。やっていけるわけがなかった。京都や大阪のベッドタウンとして人口が増えてはいるものの、バブルは崩壊しているしリーマンショックの影響も大きい。そして新型の感染症が流行し、人々はどこにも行けなくなった。街の移り変わりを肌で感じている県民としては、何の驚きもなかった。県庁所在地における「西武」と「パルコ」の閉店は、滋賀県全体の行く末を暗示しているような気がしてならない。パルコは「Oh!Me大津テラス」とリニューアルして2018年から営業を再開しているが、当初から「Coming Soon...」となっていた5階にはいまだに何のテナントも入っていない。9月からは県内で唯一の百貨店ということになる草津市近鉄百貨店もかつての西武やパルコと同じような道をたどっていたが、今年に入って東急ハンズとコラボレーションしたリニューアルを行い、それ以降はかつての賑わいを取り戻しつつある。しかしレストランフロアからは飲食店が撤退して代わりに学習塾や工務店が入るなど、全体的に百貨店らしくない構成になっているのが現状だ。

 ベッドタウンとしての魅力から大津市草津市守山市などではここ数年マンションの建設ラッシュが起こっており、西武大津の跡地にもマンションが建つらしい。段丘状の階段が建物の左右に配置された、客船を思わせるようなあの建築が失われてしまう。思い出は記憶に残るかもしれないが、それでも「その場所」がごっそりとなくなってしまうのはやるせない。大きな変化の途中にある滋賀県が、誰もにとって住みやすい場所になってくれることを願ってやまない。

 西武大津に感謝を込めて。