感情の揺れ方

それでも笑っていたい

週間日記(2020/7/13~7/19)

 7/13(月):梅雨がめちゃくちゃ長い。いつまで雨が降るのだろう。このまま雨が降り続いて、離島から東京に逃げてきた少年と貧困に喘ぐ少女が出会って、最終的に東京が海に沈んだりするのかもしれない。代々木の廃ビルはもう解体されてしまったのだろうか。朝食にドーナツを食べた。ミスタードーナツの食べ放題に行ってみたい気持ちがあるけれど、3個くらい食べたら後悔が始まるに決まっている。ケンタッキーの食べ放題にも同じ感覚がある。オリジナルチキンは5個が限界。たぶん。雨の中、またマスクを忘れそうになりながらアルバイトへ。半袖のポロシャツを着て外に出たら普通に寒いくらいの気温だった。体がぶっ壊れてしまう。雰囲気でアルバイトをして、雰囲気で昼過ぎに帰路に就く。雨が降り続いていたけれど、風は弱かったので傘を差して京都駅まで歩いた。歩いても汗をかかないような気温。Spoyifyをシャッフル再生していたら大江千里の「Rain」が流れて、なんともおあつらえ向きの音楽だなと思った。新海誠の『言の葉の庭』の主題歌になった秦基博のカバーよりもこう、味があって好きだ。あの新宿御苑的な場所は京都で言うならどこになるのだろう。御所はあんなに水がない。行ったことはないけれど、渉成園あたりだろうか。いつか行きたい。途中でジャンプを買い、通帳記入をしてから帰宅。なにかの手違いで引き落とし金額が減っていたりしないかなと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。世知辛い。「バナナムーン」を聞きながら掃除機をかける。日村さんの嘘を検証する一連のくだりが、もう一年前らしい。「イノシシ」のアクセント問題が懐かしい。その後は録画していた『MIU404』の第3話を見た。ここまではあまりしっくりきていなかったが、この3話が面白かった。急に。もちろんあの役に岡崎体育をキャスティングしたのはどういう意図があってですか、という疑問はあるにしても、面白かった。先の展開に期待が高まる。ジャンプはやっぱりチェンソーマン。めちゃくちゃ面白い。予想を裏切る緩急のつけ方にため息が出る。夜はぼんやりと過ごす。疲れてしまったのか、溜まっているバラエティを見ることもなく眠ることにする。

 

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 7/14(火):梅雨が本当に長い。おんなじことばっかり言ってるじゃないかと思われているだろうが、いや本当に長い。こんなにセミの鳴き声を聞かない7月があっただろうか。季節感がおかしくなる。コミケも中止になり、体内時計が狂いそうだ。12月に東京で予定されているイベントには絶対行きたいのだが、果たして。問題は物理的なことではなくて、この田舎で「東京へ行く」ことが持つ意味の重さにある。田舎にいながらもいわゆる「田舎コミュニティ」には属していない、ちょっとふわふわした人間が私なのだが、それでも「東京は穢れ」みたいな雰囲気が流れつつあるのは分かる。というか、インターネットにも流れている。それに関してはもう心の底から最悪だなと思う。本当に意味があるのか分からないまま報道される感染者数は数か月前の多さにはなっているものの、政府は旅行を推奨している。「移動が禁止されているわけではない」と開き直るわけではないが、それならきっと私も新幹線に乗ってイベントへ行くだろう。「舞台観覧の全観客800人が濃厚接触者へ」というニュースには憤りを感じるが、私は決して観客を非難しない。絶対にしない。流行病に関係なく、「明日自分が生きているのか」「1時間後に自分が生きているのか」、そしてなにより「あなたは明日も生きていますか」という祈りを軽んじることなど誰に出来ようはずもないのだ。今日も基本的には何もない一日を過ごす。ずっと考え事をしていた。詩でも編もうかな。

 

 7/15(水):今日も朝からアルバイトへ行く。近畿でも日に日に増えていくあの数字を横目に、琵琶湖線は私の体を運んでいく。瀬田川を越えて、トンネルを抜けて。とりあえず、私はアルバイトをします。補償に関する政策にNOを突きつけるということは、つまりどういうことなのか。そういうことを考えた上でちゃんと発言していますか、あるいは自分が世界に向かって発する言葉にどういう意味があると思いますか。言葉はどうしたって読まれないもので、だからこそこんなことをずっと考えている。収穫はない。まだ、ない。マスクにフェイスシールドを装着して、色々な人と話す。正直なところこんな空間で作業してたら対策とかあってないようなものでは、と思っているけれど、しっかり消毒はするしなるべく人とは距離を取るようにしている。2020年、トータルで見てここまでは最悪です。2月上旬までが180点、それ以降が-8000点。昼過ぎにバイト先を出る。ぶらぶらと歩く。微妙に蒸し暑い。やけに嫌な湿度だなと思っていると、ヨドバシカメラのあたりで雨が降り出した。雨なんて降っていませんがみたいな顔をして歩き続ける。強い気持ち。行き帰りの道中で「オードリーのオールナイトニッポン」を聞く。ここ最近のオードリーがよく話す、パパになった春日、いやダディガの変貌。バスケは好きだけれどバスケ部の人とはあまり仲良くできない人生なので、若林さんのトークはスッと入ってきた。帰宅して、すこし休憩をしてから作業。『ピンポン』のエントリーを手直し。主に引用部分をやり直した。いまだにコピペしたときのフォント問題が解決されない。夜はBSで「刑事コロンボ」を見て過ごす。静止画からエンディングに入る、あの演出がめちゃくちゃカッコイイ。もうすこし作業をしてから寝たい。

   

 7/16(木):雨が降っていたわけでもないのに、ハチャメチャに眠い一日だった。今日はアルバイトを入れておらず、午前中から車に乗って外出。自律神経を整えるため、近所のスーパー銭湯で汗をかく。体温をめちゃくちゃ上げた後にめちゃくちゃ下げる。原始的。岩盤浴にはあまり人もおらず、快適だった。色々な意味で。休憩スペースに設置されている大量の漫画の中から、山口つばさ作『ブルーピリオド』を手に取る。最近はこういう場所で作品を読んでも作者には還元されないんだよなぁという思いが強くなりつつあるが、それはそれこれはこれの精神でやっている。以前からすこしずつ読み進めていて、今日で既刊をすべて読み終わった。面白かった。露天風呂の中にある炭酸風呂が設定温度も低く、広くて気持ちいいのだけど、設置してあるテレビのチャンネルが固定でフジテレビなので、昼時に行くとげんなりしてしまう。ヒルナンデスの雰囲気が好きなのだ。存分に汗をかいて、フードコートのモスバーガーでお昼を食べた。昨日放送の『魔法のレストラン』で特集が組まれていて、無性に食べたくなっていた。モスチキンとコーヒーシェイクはある種の発明です。その後は薬局に寄ったりして、帰宅。岩盤浴後特有のえげつない眠気が来たので、午後はほとんど寝て過ごした。最高に気持ちの良い昼寝。失神に近い寝方をする方が気持ちいい。Twitterを見ていると、欅坂46が活動休止、改名するというニュースが目に入ってきた。正直なところSpotifyでときどき聴くくらいで熱心なファンでは決してないけれど、デビューからずっとセンターを務めていた平手友梨奈が脱退したので改名します(真相は分からないが、どうしたってそういう印象しかない)、というのはセンターを支えてきたメンバーに対する運営側のリスペクトがなさすぎるのではないだろうか。「欅坂46とは平手友梨奈であり、平手友梨奈とは欅坂46だった」という宣言が今回の活躍休止と改名であるなら、それは「平手友梨奈以外は欅坂46ではなく、価値のないメンバーだった」という意思表示に思えてしまう。「複数の人間を集めて、各々に序列をつけた上で団体として運営する」人間がやっていい事ではないだろう。アイドルに対して全く誠実ではない。若者に対する精神的なケアもあなたたちの仕事なのでは。今日はまったく何も見ていないし、何も書いていない。そういう日と割り切って早く寝るか、すこしでも何かをしてから寝るか、今から考える。

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  7/17(金):昨日は寝る前に電話がかかってきて、学部の同期や先輩と話していた。先輩の家だけなぜか回線状況が死ぬほど悪く、アメリカにでもいるのか?みたいな時差が出たり、普段は培養液につかってるんですか?みたいな音になったりでめちゃくちゃだった。マンハッタンの地下研究施設みたいなところで生活しているのかもしれない。そんな先輩は嫌だ。あまり寝られないまま、今日もアルバイトへ行く。ほどほどに頑張る。雰囲気が大事。帰る途中、最近流行っている猫の形をしたチーズケーキを買った。大丸のすぐ東隣に出来た「京都ねこねこ」は「アンティーク」の系列店で、前回買った猫型のデニッシュ食パンが美味しかったのでチーズケーキにも期待がかかる。霧雨がふったりやんだりする中を京都駅まで歩き、帰宅。「ハライチのターン」を聞きながら掃除機をかける。「団地の忍者」のコーナーが終わってしまった。8週目だったので、このラジオにしては長く続いていた方だろう。夕方からは録画していた「ロンハー」と「有吉の壁」を見た。ぺこぱの松陰寺は見ているとこう、あたたかい気持ちというか、見守りたいなという気持ちが湧いてくる。どちらの番組でも大活躍していた。松陰寺のローラーシューズをいつまでフィーチャーする番組こと「有吉の壁」。「ぴったんこカンカン」はリアルタイムで、「かりそめ天国」は録画へ。先週の「ぴったんこカンカン」はおそらく関西地区では放送されておらず、香川照之が息子に「うるせぇんだよカマキリがよ」と言われたという情報だけがネットニュースで流れてきた。時代。そして何より、宝塚歌劇団が今日から公演を再開した。花組公演のフィナーレ中継は録画していてまだ見ていないのだが、各所のニュースで舞台写真を目にすると普通に泣いてしまう。ものすごく泣いてしまう。夢の続きが始まったような、そんな感覚。今日はとても眠いので、日付が変わる前には寝ようと思う。

 

 7/18(土):久しぶりに、一度も目が覚めることなくアラームの時間まで眠ることが出来た。やっぱりものすごく体力を消費するのが安眠の秘訣なのかもしれない。ただベッドに入ってからすぐ眠りについてしまうのはもはや失神なんですよ、みたいな情報を見たこともあるので、難しいところだ。出来るなら毎晩失神したいけれど、それはそれで体に悪いのだろうか。人体のことは何もわからない。悲しいニュースが多い日だった。まず、フランスのナント大聖堂で火災が起こった。ノートルダム大聖堂が昨年見舞われた火災ほどの規模ではないようだが、放火の疑いがあるらしい。そしてもうひとつ、具体的な個人名は避けた方が良いのかもしれないのでそうするが、ある人が亡くなった。近年は舞台で活躍することも多く、これからの日本ミュージカル界を背負っていく人になるのだろうなと思っていた。故人を偲ぶという行為の持つ意味を考えてはいるが、やはり答えは出ない。そして気にかかるのが、有名人が亡くなる度にインターネットで持て囃される(あえてこういう表現を使う)WHOの自殺報道に関するガイドラインである。はっきり言ってしまうと、私はあのガイドラインが好きではない。確かに大事な姿勢であることは分かる。しかし、とても虚無的というか、虚飾であるように思われて仕方がない。あんなにも長い文章なのに、何も書いていないじゃないかという印象を拭うことが出来ない。特に気にかかるのは、自殺をタブー視するあまりに自殺した人を愚弄しているところだ。「自殺が有効な策であるかのような報道をしない」。素晴らしい項目だと思う。自殺はよくない。もちろんそうだ。けれどそれは、「自殺を選ぶしかなくなってしまった人」までも愚弄することにならないだろうか。「死」はタブーか?なぜあの人は死んでしまったのかと考えることは?悲しみをインターネットに吐露することは?誰かの死を悼む人に対して「『自殺が有効な策と考えてはいけない』と発信すること」と「自殺なんてバカのすることだ、死ぬ気になれば何でも出来るのにと死者を侮蔑すること」の間にある違いとは?惨禍への向き合い方を、どこまでも考えなければならない。センセーショナルなニュースに引っ張られてしまい、今日は色々なことが手につかないし、この日記に書くことにも悩む。『MIU404』の第3話のエントリーも書いたし、壊れた温水洗浄便座がついに新しくなったのだが、そういうことを書くような雰囲気でもなくなってしまった。ご冥福をお祈りしています。

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 7/19(日):久しぶりに晴れた青い空を見たような気がする。気温も高く、急に梅雨が明けたような感覚になるけれど、天気予報によれば明日からまたしばらく雨が降るらしい。生活が難しい。今日は特に何もしておらず、寝てばかりいた。本当に。テレビばかり見ていた。カルディで買ったエルダーフラワーのシロップをウィルキンソンのライムソーダで割ってみたらものすごく美味しかったので、おすすめです。すこし前に期間限定で発売されていたファンタのソカタ味(エルダーフラワーの風味だった)にドハマりして以来似たようなものを探していたのだけれど、これはかなりその欲求が満たせる。この夏はエルダーフラワーと、三ツ矢サイダーグリーンレモンで乗り切りましょう。エルダーフラワーシロップは浅煎りのアイスコーヒーにすこし入れても美味しいです。これくらいしか書くことがない。夜は「バナナマンのせっかくグルメ」を見る。今田美桜さんの目が大きすぎてちょっと心配になるくらいだった。どこかへ行きたい。県境を越えて、一人でどこかへ行きたい。行ってしまいたい、と言った方が正確かもしれない。感染症の流行やテレワークの普及で東京の一極集中は緩和されるかもしれないという予測をそこかしこで見るけれど、文化やエンターテインメントに関して言えばこれからは今までよりも東京に集中するような気がしている。行ってもいい顔をされない以上、全国ツアーをするような人たちは少なくなるだろうし、地方は配信に任せてしまって動員は東京だけ、みたいな事態になっていくだろう。一番人口の多い東京でしか公演は打ちません、となる未来になってもおかしくはない。地方の酸素はどんどん薄くなる。色々なことが連鎖していく。自分はどうするべきか考えてばかりいる。

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アップし忘れていた鉄板ナポリタン