感情の揺れ方

それでも笑っていたい

野木亜紀子脚本『MIU404』第3話

 ルーブ・ゴールドバーグ・マシン。「ピタゴラ装置」と言う方が分かりやすいだろうか。つまりはいくつもの手の込んだからくりを用いて、それらが次々と連鎖していくことで動作する機械、装置のことなのだが、『MIU404』の第3話においてルーブ・ゴールドバーグ・マシンは「人生」のメタファーとして機能している。

 個人的な印象にはなるが、『MIU404』というドラマはこの第3話でようやく始まったような気がする。第3話が第1話だと表現するよりも、第1話から第3話をすべて合わせたものが第1話なのだと言う方がより適切かもしれない。『分岐点』というタイトルの通り、この第3話は各登場人物の転換点となっていくのだろう。

 第3話で物語の中心になるのは「いたずら通報」、つまり偽計業務妨害を繰り返す高校生たちと、第四機動捜査隊の九重世人(岡田健史)である。西武蔵野署管内で繰り返されるいたずら通報の捜索に加わった四機捜の面々は、通報の主がバシリカ高校の生徒たちであることを突き止める。彼らはなぜ罪を犯してまで走るのか。四機捜の異分子、落ちてきたエリート、「正しさ」に縋る人物として描かれる九重は高校生を自らの理解の外へ外へと追いやるが、同じく落ちてきたエリートである志摩(星野源)は即席のルーブ・ゴールドバーグ・マシンを前に語る。

志摩「辿る道はまっすぐじゃない。障害物があったり、それをうまく避けたと思ったら横から押されて違う道に入ったり。そうこうするうちに罪を犯してしまう。何かのスイッチで、道を間違える」

九重「でもそれは自己責任です」

志摩「出た自己責任」

九重「最後は自分の意思だ」

志摩「その通り。自分の道は自分で決める。俺もそう思う。だけど、人によって障害物の数は違う。正しい道に戻れる人もいれば、取り返しがつかなくなる人もいる。誰と出会うか、出会わないか。この人の行き先を変えるスイッチは何か。その時が来るまで、誰にも分からない」

 「自己責任」というある種の”正しさ”は、しかし高校生たちには何の意味もない。彼らを苦しめているのは、彼ら本人には何の意味もない「連帯責任」なのだから。偶然同じ時代に生まれ、偶然同じ高校に通い、偶然同じ陸上部に所属し、偶然先輩が違法な薬物に手を出した。ただそれだけの理由で陸上部は廃部になり、彼らは走る場所を奪われたのだ。夢を、青春を奪われた。自分が押したわけではないスイッチが起こした波に飲み込まれてしまったのだ。だが、高校生たちと九重は決して別の存在ではないし、むしろ同じ立場にある。それは誰もがみなピタゴラ装置の中をただようパチンコ玉であり、パチンコ玉の方向を変えるハンマーであり、ただ倒れていくドミノなのだということなのだ。誰もがスイッチに、誰もがパチンコ玉になり得る。あなたは私だったかもしれないし、私はあなただったかもしれない。「連帯責任」を強いる大人たちに憤る陸上部三年の勝俣(前田旺志郎)や成川(鈴鹿央士)もまた、自分たちの犯罪行為に恋人や後輩たちを巻き込んでいく。あいつらは自分が無理やり巻き込んだんですという弁明が、インターネットの悪意に通用することはない。自分と犯罪者を一緒にするなといら立つ九重もまた、成川を確保寸前で取り逃がす。いやむしろ、半ば諦めたかのように彼を「逃がして」しまう。どうせこいつは…とでも言うように。自分の行いが新たな犯罪者を生むことも、「自分が成川という少年の分岐点に立ち、彼の運命を決めてしまうかもしれないこと」も、きっと彼の脳裏には浮かんでいない。手を伸ばす者、突き放す者、離さない者。伊吹(綾野剛)も九重も高校生たちに決断を委ねたが、彼らに手を伸ばしたのかそうでないのか、彼らの手を掴もうとしたのかという違いはどこまでも重い。九重の手から落ちたパチンコ玉はきっと、それ自体がまた別の何かにとってのスイッチになっていく。