感情の揺れ方

それでも笑っていたい

『鬼滅の刃』最終回に寄せて

 吾峠呼世晴先生による『鬼滅の刃』の連載が2020年5月18日発売の週刊少年ジャンプを持って終了しました。

 まず、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。こんなにも素晴らしい作品の第1話から最終話まで、そのすべてをリアルタイムで楽しむことが出来たことに幸運を感じています。

 『鬼滅の刃』が持つ大きなテーマのひとつに「人間とは何か」という問いがあるのではないかと思う。そしてこの問いは、鬼殺隊と鬼との戦いを通して常に「人間とは、鬼とは何か」という形で描かれている。

 鬼と人間との違い。個人的に、それは「個」か「全体」かにあるのではないかと思う。鬼は生命として完成されていると言って良い。日光に当たる、あるいは日輪刀で頸を切られなければ死ぬこともなく、老いることもなく、苦しむこともなく、何も失わない。その生命に、「連続性」は存在しない。次の世代に何かを託すことも、引き継ぐべきものもない。死なないからだ。種としての円環は、ただ一体の鬼の命によって閉じている。それに対して、人間はあまりにも弱い。脆い。傷が癒えるには時間がかかり、命は失われてしまえば二度と戻らない。

炭治郎「失われた命は回帰しない 二度と戻らない
    生身の者は鬼のようにはいかない
    なぜ奪う? なぜ命を踏みつけにする?
    何が楽しい? 何が面白い?
    命を何だと思っているんだ
    どうして分からない? どうして忘れる?
    人間だったろうお前も
    かつては痛みや苦しみに踠いて涙を流していたはずだ」

    ──第81話「重なる記憶」より

 しかしそれこそが、老いること、命が失われることこそが、人間の強さだった。厳然たる命の期限を前に、人間は自らが持つものを次の世代へと託すことで「鬼舞辻無惨を倒す」夢を果たさんとしたのだ。ここに、鬼と人間との最大の違いがある。「鬼」という強すぎる「個」に対して、人間は「全体」で立ち向かったのだ。あらゆる鍛錬を重ね、記録を残し、次世代を守る。そうして鬼殺隊は戦いを続けていった。言うなればそれは、人間という種が持つ「生命の連続性」に対する祈りのようなものなのだ。

  

 錆兎「自分が死ねば良かったなんて二度と言うなよ
   もし言ったらお前とはそれまでだ 友達をやめる   
   翌日に祝言を挙げるはずだったお前の姉も
   そんなことは承知の上で鬼からお前を隠して守っているんだ
   他の誰でもないお前が…お前の姉を冒涜するな
   お前は絶対死ぬんじゃない
   姉が命をかけて繋いでくれた命を 託された未来を
   お前も繋ぐんだ 義勇」

   ──第131話「来訪者」より 

 弱いことも、弱いから死ぬことも、決して問題ではない。「鬼舞辻の打倒」は、自分の世代で遂行されなくてもいい。いつか誰かが、自らの意思を継ぐ誰かが、鬼舞辻の頸に刃を立ててくれれば、それでいい。「繋いでいく」こと。鬼殺隊にとって最も重要なことは「繋いでいく」ことであり、そしてそれこそが、鬼と人間との最も大きな違いなのだ。

猗窩座「杏寿郎なぜお前が至高の領域に踏み入れないのか教えてやろう
    人間だからだ 老いるからだ 死ぬからだ
    鬼になろう杏寿郎 そうすれば
    百年でも二百年でも鍛錬し続けられる 強くなれる」

杏寿郎「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ
    老いるからこそ 死ぬからこそ 
    堪らなく愛おしく尊いのだ
    強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない
    この少年は弱くない 侮辱するな
    何度でも言おう 君と俺では価値基準が違う
    俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」

    ──第63話「猗窩座」より

猗窩座「この素晴らしい剣技も失われていくのだ杏寿郎
    悲しくはないのか!!」

杏寿郎「誰もがそうだ 人間なら!! 当然のことだ」

    ──第63話「猗窩座」より

 物語は、炭治郎や柱の面々が命を賭して鬼舞辻を倒し、幕を迎える。最終話ではその子孫たちが現代で平和に暮らしている様子が描かれた。鬼殺隊が捧げた、人間という生命の連続性への祈りに対する救いは、連綿と受け継がれた人間の営みの果てにおいて描かれなければならなかったのだと思う。炭治郎たちの世代だけが幸せに暮らしているだけではダメだったのだ。鬼殺隊が「繋いできたもの」が、どこまでも「繋がれていった」こと。それが、「鬼殺隊が勝利した」ということなのだ。

 『鬼滅の刃』は、人間賛歌だ。そしてその歌は、鬼の命にまでも手を差し伸べる。

 

 

 蛇足:上でも引用した炎柱・煉獄杏寿郎さんが活躍する第63話「猗窩座」、第64話「上限の力・柱の力」、第65話「誰の勝ちか」、第66話「黎明に散る」を読んで涙しない者はいないと言われています。