感情の揺れ方

それでも笑っていたい

『MIU404』最終話「ゼロ」

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「なにがいい?不幸な生い立ち?歪んだ幼少期の思い出?いじめられた過去?ん?どれがいい?俺はお前たちの物語にはならない」

 私は、そしてあなたは誰であり、どこから来てどこへ行くのか。そのことを真正面から描く『MIU404』の最終話で、久住(菅田将暉)が志摩(星野源)と伊吹(綾野剛)に対して吐き捨てたこのセリフは、どこまでも重い。天変地異にも似た大きな変化の中で誰もが苦しみを味わう2020年にあって、私たちは以前にもまして「ストーリー」を求めるようになっている。犯罪者に幼少期のトラウマを求めるように、天才に過去の挫折を求めるように。「俺はお前たちの物語にはならない」という言葉はドラマの視聴者にだけでなく、脚本家の野木亜紀子自身にも向けられているのではないだろうか。このドラマでは、現代における人間存在そのものに対する厳しい「自戒」や、人間のひとりである自分自身への「内省」に近い言葉や表現が随所に見られた。

献金もらった政治家も、賄賂もらった役人も起訴されないんだって。金持ちの世界どうなってんの。私なんて手取り14万で働いてんのに草」

    第4話「ミリオンダラー・ガール」

「私たち働きに来た。日本人働く人いない。働く私たちニーズあってる。ベトナム日本の家電たくさん。日本の会社たくさん。綺麗。カッコイイ。みんな日本行きたい。dream。でも、日本は、私たちいらない。欲しいのは、文句ない、言わない、お金かからない、働くロボット」

   第5話「夢の島

「俺はラッキーだったなぁ」

   第7話「現在地」

 マイノリティの問題に見て見ぬふりをしてきた私たちへ、野木亜紀子は厳しい視線を向けている。連帯責任の名の下、理不尽に青春を奪われた高校生。違法だと分かっていながら、トランクルームで生活する人。このドラマは罪を罪として断じつつ、マイノリティに小さな叫びを代弁していた。第4話「ミリオンダラー・ガール」で青池透子が最後の望みを託して女子児童慈善団体に宝石を送る時、彼女が差出人の欄に書いた「Girls too」は、「私もあなたと同じ逃げられなかった女の子だった」ということを示している。あなたは私だったかもしれないし、私はあなただったかもしれない…。その「too」は私たちの誰もにあてはまる。私たちの間には「繋がり」が、「連続性」があるのだ。

   

ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」に代表される「スイッチ」のメタファーも、この作品を語るうえで欠かせない要素のひとつ。

「自分の道は自分で決める。俺もそう思う。だけど、人によって障害物の数は違う。正しい道に戻れる人もいれば、取り返しがつかなくなる人もいる。誰と出会うか、出会わないか。この人の行き先を変えるスイッチは何か。その時が来るまで、誰にも分からない」

   第3話「分岐点」

  私たちはどうしようもなく繋がっている。私たちの一人一人が装置の中を転がり落ちるパチンコ玉であり、同時に障害物──、つまり別のパチンコ玉の行き先を変えるスイッチでもある。私はどこから来て、どこへ行くのか。その過程で、誰とふれあい、誰の「スイッチ」になるのか。その集約が人生なのだとしたら。「物語」なのだとしたら。最終話「ゼロ」で久住が言う「俺はお前たちの物語にはならない」という言葉の意味は。誰かの人生を「物語」として消費するそのとき、誰かの人生に指すその「後ろ指」をお前たちは自分自身の人生に、「物語」に向ける覚悟はあるのかということなのかもしれない。

 人生が選択の連続であり、自分と誰かの人生が繋がっている以上、それを安易に物語化することなど出来ない。久住が捕まえ損ねた蝶々の羽ばたきが明日の風を生み、私の帽子をどこかへ飛ばしてしまうかもしれないのだ。

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