感情の揺れ方

それでも笑っていたい

2016年花組公演『金色の砂漠』~明日海りお×上田久美子の美しい世界~

 明日海りおというトップスターの魅力は何だろう。得も言われぬ麗しさ、安定感のある歌唱、相手役を包み込む懐の深さ…。そのすべてが唯一無二のものだが、明日海りおの最も突出した魅力は、表現力にあると私は思っている。演技力だけではない、スタイリングも含めて与えられた役柄を余すところなく表現する力は卓越していた。

 早くから抜擢が続き数多くのキャラクターを演じてきた明日海りおではあるが、このエントリーではタイトルにある通り2016年『金色の砂漠』を取り上げたい。作・演出は上田久美子のオリジナル作品であり、明日海りおとのタッグはこの作品が初めてとなる。演出家上田久美子と言えば、2013年月組公演『月雲の皇子』でデビューし、同作品から注目され続けている。個人的な印象にはなるが、彼女の作品の特徴は「ストーリーの分かりやすさ」ではないだろうか。雪組公演『星逢一夜』もそうで、物語が分かりやすく、かつ面白い。90分に渡る作品の物語を一度観劇しただけで理解するというのは意外に難しい。プログラムで予習、あるいは復習をしてようやく…ということも珍しくはない。しかし、彼女の作品は違う。題材の選び方はもちろん、ストーリーの流れやタイトル、キャッチコピーに至るまで、作品が伝わるような設計がなされている。そのような部分がある意味での「宝塚らしさ」と融合し、ユニークな魅力が生まれているように思う。

 『金色の砂漠』もその例にもれず、登場人物の繊細な感情の描写と分かりやすさが両立されている。「トラジェディ・アラベスク」と銘打たれたこの作品は、その通り悲劇的な作品だ。

 物語の舞台は、昔々のいつかの時代、どこかの国、イスファン。砂漠の真ん中にあるその国には三人の王女がいて、砂漠の向こうにある国から三人の王子がそれぞれに求婚するため訪れていた。歓待の宴では美しい男女が舞い踊る。

『この砂漠のどこかに美しい場所があるという
 金色の砂の海に この命砕け散る 砕け散る
 光る砂原 あくがれいでた ふたつの魂 どこへ誘う熱い砂よ
 この砂漠のどこかに 許される場所があるという
 金色の砂の海に この罪よ砕け散る 砕け散る
 あぁ眠らせて 死に抱かれて この罪の終わる場所
 遠い旅の果てに あぁ眠らせて 死に抱かれて 
 金色の砂降る 金色の砂降る 遠い砂漠よ
 果てない荒野に 金色の砂降る 遠い砂漠よ』 

             「金色の砂漠」

 イスファンにはあるしきたりがあった。王族には一人、常に付き従って世話をする奴隷がつくというものだ。花乃まりあ演じる第一王女タルハーミネの奴隷・ギィを演じるのは明日海りお。柚香光が演じるガリアの王子テオドロスはギィの歌声を褒めたたえ名前を聞くが、ギィは答えない。公の場で奴隷が声を発するのは禁止されているのだ。そこにタルハーミネを乗せた輿がやってくる。続く場面が衝撃的で、ギィはタルハーミネは輿から降りるための踏み台になるのだ。テオドロスは「野蛮だな」とつぶやくが、観客としてはそれどころではない。トップスターが踏み台をするなんてと、宝塚のファン歴が長ければ長いほどそう思うだろう。そして何より、このシーンをものすごくあっさり流すという演出のすごさ。イスファンという国ではこれが当たり前で、かつイスファンとはこういう国なのだということを端的に伝える上手さ。

タルハーミネ「奴隷というのは砂や土と同じですから」

 奴隷、そして「女性の王族には男性の奴隷を、男性の王族には女性の奴隷をつけ幼いころからともに生活をする」という制度に苦言を呈しつつもテオドロスはタルハーミネに結婚を申し出る。その様子を見たギィは明らかに機嫌を悪くし、タルハーミネも「いつまでもそうしていなさい」と踏み台の姿勢のままいることを命令してテオドロスとオアシスの花を見に行ってしまう。そしてこの場面で、物語が進んでいく上で大きなことが起こる。芹香斗亜演じる第二王女付きの奴隷・ジャーが語り部狂言回しとして、観客に向かって語りかけ始めるのである。上田久美子の求める、「物語の分かりやすさ」の表れではないだろうか。ジャーの出現によって、この作品の雰囲気はガラリと変化する。ジャーは、結末を言ってしまうのだ。「みんないなくなってしまった」と。ごくごくさらりと、登場人物の行き着く先を観客に提示する。物語がどのように完結するかが分かってしまうとどうなるか。それはもちろん伝え方にもよるけれど、観客は安心するのだ。目的地を告げられぬまま車に乗せられるより、初めにどこへ行くかを教えられる方が安心するだろう。「みんないなくなってしまった」という、絶妙なネタバレは、ある種の安心感を与えると同時に観る者の想像力を刺激する。「一体どういう風にいなくなってしまうのだろう」という具合に。言うなれば、ジャーの登場によって観客はより物語にのめり込むことが出来るようになるのだ。想像力を巡らせる方向が定まると言ってもいいかもしれない。結末は伝えるけれど、筋書きは伝えない。どの道を通って目的地へ行くのかは決して伝えない。上田久美子による絶妙な演出がここにある。

 物語はここから回想シーンに入る。幼きタルハーミネは算術の授業を受けるが、どの問題にも答えられない。王族を害することはできないと、教師は彼女の代わりにギィを痛めつける。たまらずギィはタルハーミネの代わりに応えるが、今度は王女の授業を盗み聞きしていたのかと殴られる。タルハーミネはギィを連れてその場を逃げ去り、母のアムダリヤ(仙名彩世)に歌を教わりに行くが、ギィは乗り気ではない。アムダリヤはタルハーミネの実の母親ではなかった。ジャハンギール(鳳月杏)がこの国を攻めた際に前王バフラムの妃であったアムダリヤに心を奪われ、自らの妃としたのだ。自分の夫を殺した男の妻になるのはおかしいと、ギィはアムダリヤのことを責める。

ギィ「そういうときは塔から飛び降りたり舌を噛んだりして死ぬんだ」

 翌日、二人は城を抜け出して砂漠に出てしまう。アムダリヤが歌う、「金色の砂漠」を目指して。砂漠は危険だから帰ろうと言うギィだが、タルハーミネは制止を振り切ろうとする。たまらずギィはタルハーミネの頬を打ち、左の眉に傷をつけてしまった。城に戻った二人は「一体誰がタルハーミネを害したのか」と問い詰められる。算術の教師はギィに違いないと詰め寄るが、タルハーミネは「そいつがやったのよ!」とその算術教師に罪をかぶせ、ギィを庇う。ギィは礼を言うが、タルハーミネは教師が嫌いだっただけだと答える。そしてタルハーミネはギィのナイフを手に取り、ギィにも自分と同じ場所に傷をつけるのだった。ギィは傷を治すため、アムダリヤの奴隷であるピピ(英真なおき)のところへ向かう。そこで彼は、「自分の方が賢いのに、どうしてあいつはあんなに」とやりきれない思いをぶつける。

ピピ「ギィ、お前は誇り高い」

  誇り。この作品を貫くテーマのひとつが、誇りである。この作品は、誇りと愛の物語だ。この場面でピピは、「お前は自分が賢いことを知っている、それなのに不当な扱いを受けていることに憤っている」、だから「誇り高いのだ」とギィに言う。自らの能力、立場とそれに対する他者からの扱いが不当なことにギィは怒っている。そしてそれは、ギィだけではない。タルハーミネもそうなのだ。王女である自分がどういう人間であり、何をすべきなのか。どういう扱いを受けるべきなのか、それも自分個人がどういう扱いを受けたいかではなく、王女としてどのような扱いを受けなければならないのかを常に考えている。ギィにはギィの、タルハーミネにはタルハーミネの誇りがある。その間の揺らぎが、『金色の砂漠』の根幹なのだ。余談だが、この場面で第二王女ビルマーヤ(桜咲彩花)の若き頃を演じてるのが当時研一の舞空瞳さんで、トップ娘役になる人は研一の頃からセリフあるんだなと思いました。

 回想はここで終わり、タルハーミネの私室で二人が眠っている。眠っているギィをタルハーミネが気まぐれに起こす。テオドロスと結婚するのかというギィの問いに、タルハーミネは答えない。「この国では誰もお父様には逆らえないわ」と言うばかり。翌朝、オアシスでは歓待の催しが続いていた。タルハーミネとテオドロスが話すそばにつくギィは黙って二人の話を聞いている。テオドロスが去ると、結婚したら自分のことを遠ざけてくれと懇願するが、タルハーミネは半ば怒りながらいつまでもそばにいるようにと言いつける。そして彼に見せつけるように、テオドロスの求婚を受け入れる。奴隷は常に自分のそばにいなければならないのだという王女としての振る舞いと、ギィへの思いが揺れ動いているのだ。

ギィ「その奴隷が、主人に恋していたらどうするのですか」
タルハーミネ「お前はいつまでもただの奴隷として私のそばにいるの」
ギィ「これ以上あなたのそばにいるのはいやだ」
タルハーミネ「口答えするの」
ギィ「そうやって怒るとき、あなたは震えている。そのまなざしもその声も、何かに震えている。あなたは何かを怖がっている」

続く場面では第二王女ビルマーヤに天真みちる演じるゴラーズが求婚をするのだが、このゴラーズというキャラクターが素晴らしい。彼は奴隷を奴隷として扱わない。ジャーを気遣い、水も自分で用意し、さらには奴隷のジャーにもその水を手渡す。その優しいゴラーズからの求婚をビルマーヤは受け入れる。互いに想いあうジャーのことを守るために。ギィとタルハーミネ、ジャーとビルマーヤ。この二組の対比は鮮やかだ。燃えるように愛し合うギィとタルハーミネ。そして優しく、どこまでも穏やかに想いあうジャーとビルマーヤ。ジャーとビルマーヤ、そしてゴラーズがいなければこの作品はここまで素晴らしいものにならなかっただろう。

ジャー「でもあの人たちの幸せを願うことだけが、僕たちに出来ることだろう」

 タルハーミネとテオドロスの婚礼前夜。ギィはついに想いを爆発させ、タルハーミネに歩み寄る。タルハーミネは拒むが、愛していないというなら人を呼べそうすればジャハンギールが自分を殺すとギィは迫る。

俺があなたにとって砂でしかないなら、あなたを侮辱するものに死を命じてください」

叫べばいい、愛していないというなら」

           ──ギィ

 誇りと愛との間で揺れるタルハーミネ。しかし彼女はついにギィの愛を受け入れてしまう。一連の場面は、燃えるような二人の感情とは対照的にとてもゆっくりと進んでいく。婚礼の衣装を確認するためにギィとタルハーミネがはける場面では、舞台上に出演者が一人もいなくなってしまうほどだ。二人が組んで踊るダンスも、手数は多いながらもかなりゆったりとした振りで構成されている。この場面の美しさはすごい。明日海りおに引っ張られるように、花乃まりあも素晴らしいパフォーマンスを見せている。

「私は奴隷の妻として生きる」

「もうお父様の王女ではいられない」

          ──タルハーミネ

  ギィと愛し合ったタルハーミネは、それでも第一王女としての自分を捨てきれない。このセリフに表れているように、ギィへの愛と彼女の誇りはどこまでも並び立っている。その感情の揺れを掬い取る、上田久美子のセリフには心を打たれるばかりだ。

『お前の悲しみ お前の涙 お前を守りたい この命捧げよう 
 二人旅をして どこまでも行こう 鳥たちも渡っていく遠いオアシスへ
 二人旅をして まだ知らぬ世界 鳥のように飛んでいこう力尽きるまで
 遠いオアシスに いつか巡りつき お前の髪を名も知らぬ花で飾ろう』

          ──ギィ、タルハーミネ「鳥たちの空」

 ギィとタルハーミネは城を抜け出そうとするが、兵士たちにより捕らえられてしまう。かつてタルハーミネによって無実の罪で奴隷の身に落とされた算術教師が密告をしていたのだ。王家の誇りを汚したとして、ジャハンギールはタルハーミネに死を言い渡す。しかしそこに現れたテオドロスが彼女に告げる。王家の、そして彼女自身の誇りを回復する方法がひとつだけある。それは、タルハーミネ自身が自らを害した奴隷に死を与えることだと。彼女のことを信じるギィに見つめられながら、タルハーミネは言う。

タルハーミネ「みな聞け!イスファンの王ジャハンギールの娘がその奴隷に申し渡す。私がその者を愛したことなどない」

  こうしてタルハーミネの誇りは回復され、婚礼は予定通り行わる手はずとなった。一方でギィは地下牢に連行され、拷問を受ける。しかしそこに現れたアムダリヤとピピが、ギィと背格好の似た遺体を運び入れ、ギィに逃げるよう促す。どうして奴隷の命を救うのかと問うギィに、アムダリヤは真実を告げる。ギィはアムダリヤと前王バフラムとの間に生まれた子イスファンディヤールであり、ジャーはその弟パードゥシャーなのだと。ジャハンギールがこの国を攻め落としたとき、アムダリヤに心を奪われたジャハンギールが「自分の妃となるなら赤子の命を助けてやる」と条件を出したのだ。アムダリヤは王妃となり、兄弟は名を変え奴隷となった。真実を知ったギィは、何故誇りをもって自分とともに死ななかったのだと母を責め、復讐を誓って砂漠へと去っていく。アムダリヤを演じる仙名彩世は、この場面でその実力を遺憾なく発揮している。夫を殺され、しかし我が子を守るために誇りを捨てその仇の妻となる。アムダリヤの計り知れないほど重い感情を、彼女は十分に演じきっている。タルハーミネやビルマーヤとはまた違う愛と誇りを表現する仙名彩世と、すべてを知ったギィの憎しみと復讐を表現する明日海りお。トップコンビとして様々場面を演じることになる二人ではあるが、この場面で繰り広げられるやり取りも語り継がれなければならないだろう。

「許すものか。なぜ守らなかった。なぜ誇りを守らなかった。なぜあなたと、あなたの息子たちの誇りを守らなかったのだ。あなたは俺などのために、仇の腕に抱かれ、なんという屈辱を受けてきたのだ。18年間…あなたと俺たちは死ぬべきだった。18年前に死ぬべきだったのだ!」
「生きて必ず戻ってくる。復讐のため、父の、あなたの、そして自分の、この国に、タルハーミネに俺は必ず復讐する!」

            ──ギィ

 

『焼け焦げた魂 この身どこへ運ぶ 心潰す憎しみが この命かりたてる
 砂塵よ俺を包め 狂うがごとく この身を焼いてくれ 狂った光よ
 炎熱の砂漠よ聞け 我が叫び我が誓い この砂に今誓う
 復讐ただそれだけ 復讐ただそれこそ 復讐こそ 我が恋
 灼熱の地獄よ聞け 我が怒り 我が嘆き この砂に今誓う
 復讐ただそれだけ 復讐ただそれこそ 復讐こそ 我が恋』

            ──ギィ「復讐こそ我が恋」

 砂漠へと逃げ出でたギィは、かつてバフラムに仕えた者の子孫が率いる盗賊団の仲間になる。何者かと問われ、「誇りもない惨めな男だ」と答えるギィ。なぜ死ななかったのだとアムダリヤに向けた言葉は、ギィ自身をも責めるものだったのだ。誇りを捨て、ギィはただ復讐のために生きていく。

 ここから物語は加速する。ギィの失踪から7年が過ぎた。タルハーミネとテオドロスの間にもはや愛はなく、タルハーミネは心を閉ざしてただ王女としての誇りだけを胸に生きていた。

『もう悲しみさえなく 夜のごとくに静かに 王女として誇り高く

 ただ生きる ゆるぎなく ただ強く愛を忘れて 

 憎しみもない 静かにひとり 夜のように 誇りにのみ生きる』

         ──タルハーミネ「誇りにのみ」

 盗賊の首領となったイスファンディヤールは城を攻め、ジャハンギールを討とうと盗賊を扇動する。彼の計略は見事に成功し、守備が手薄になった城へ盗賊たちは攻め入っていく。死んだはずのギィが目の前に現れたことにタルハーミネは愕然とするが、イスファンディヤールはジャハンギールの命を奪い、テオドロスはイスファンを捨てガリアへと帰ってしまった。イスファンディヤールは王族たちを追放し、タルハーミネを妃に迎えると宣言する。ジャハンギールがアムダリヤに与えた苦しみをタルハーミネにも与える…。それがイスファンディヤールの復讐だった。

 新王の即位式が行われる朝、タルハーミネが姿を消す。彼女を探すイスファンディヤールのもとにピピが現れ、あることを告げる。アムダリヤが、塔から飛び降りたと。苦しみから解放されたはずの彼女がなぜ自ら命を経つのだとイスファンディヤールは問い詰めるが、あることに気づく。

「愛していたのか、ジャハンギールを…」

 物語は悲劇の坂を転がり落ちていく。「そういうときは塔から飛び降りたり舌を噛んだりして死ぬんだ」…。かつてギィがアムダリヤに対して述べたこのセリフが、圧倒的な悲しみを持って思い出される。アムダリヤにとっての「そういうとき」が、息子であるイスファンディヤールによってもたらされたのだ。悲しみに暮れる間もなく、また報告が入ってくる。「砂漠に続く門でタルハーミネに似た女を見たやつがいる」、と。イスファンディヤールは彼女を追って砂漠へ向かう。何日も何日もさまよい、彼はタルハーミネを見つける。アムダリヤの歌った「金色の砂漠」の中で二人は肉体を捨て、ようやく結ばれる。

タルハーミネ「お前を愛しているわ」

イスファンディヤール「焼けつくような憎しみの中で俺はお前に恋したのだ」

 肉体がなければ、奴隷も王もない。身分がなければ、誇りもない。肉体の生み出すあらゆるしがらみと誇りを捨て、イスファンディヤールは、いやギィとタルハーミネは愛に死んでいく。愛と誇りの悲劇は、砂に葬られて終わりを迎えるのだ。

 ここまでの悲劇を演じきった各出演者の実力には手放しの称賛を送りたい。そしてもちろん、上田久美子という演出家にも。ジャーという語り部を設定するだけではなく、主題歌の「金色の砂漠」でも実は物語の結末は語られている。ギィとタルハーミネの愛が許されるのも、遠い旅の果てにたどり着くのも、そして彼らを眠らせるのも「金色の砂漠」だ。「物語を伝える」というその一点を突き詰めたこの舞台作りは、「宝塚歌劇」という独自の世界にとってかなり重要なものであり、上田久美子という演出家はそのことを強く意識しているような気がしてならない。