感情の揺れ方

それでも笑っていたい

2018年花組公演『ポーの一族』~「極上の美」はそこにある~

『極上の美 永遠の命 底知れぬ恐怖 知りえぬナゾ

 伝説の中に 青い霧と たそがれと闇の中に

 しとどおちる血と 冷たい指と

 ほほえみの中に 霧の森の奥深く

 バラ咲き乱れる苑に住む 

 我らは一族 時を止め 生き続ける

 我らは一族 ポーの一族

  目の前の人間が本当に人間なのかを疑ったことがあるか。背筋が凍るほどの美しさに貫かれ、頬を濡らし、ただ祈ったことがあるか。私はある。2018年宝塚歌劇団花組公演、ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』を劇場で観たとき、私は私の人生を変える他なかった。それほどの力が、あの2時間30分にはあった。あの舞台の上で、明日海りおは確かに永遠の時を生きる存在であり、仙名彩世は永遠の愛を体現する存在であったのだ。

 ミュージカル『ポーの一族』は萩尾望都作の同名漫画を原作にした作品で、演出を担当した小池修一郎は入団当初からこの作品のミュージカル化を考えていたという。しかし「主人公が子供のままであること」や、「主人公がバンパネラという負の存在であること」が宝塚のトップスターの存在様式と折り合わなかったことから上演は見送られ、いつの間にか30年以上が経過してしまった。このまま夢と消えるかに思われたミュージカル『ポーの一族』だったが、そこに現れたのが明日海りおというトップスターだった。小池修一郎にとって、そして萩尾望都にとっても、明日海りおはエドガーであり、エドガーが明日海りおだったのだ。

エドガーはいた。明日海りおである。美しさ・神秘性・純粋さ・魔性、天使と悪魔が共存した魅力の全てを兼ね備えている。そして、透徹した演技力と哀切の歌声を持つ。ポスター撮影の日、生きているエドガーが目の前にいた。完璧である。神は封印を解かれたのだ。」

  ──小池修一郎 公演プログラムより抜粋

「公演のチラシを拝見した。なんと。そこにエドガーがいた。イメージを上回るイメージ。遠い時を越えて現実に抜け出てきたみたいなあなた。あなたは誰?この舞台のために、来てくださったの?今、ここに?」

  ──萩尾望都 公演プログラムより抜粋

 小池修一郎をもってして、「完璧」と言わしめる明日海りおのエドガー・ポーツネル。エドガーという「神話」を明日海りおという「伝説」が体現してみせるとき、舞台の上にあるのは「この世ならぬもの」、つまり「極上の美」に他ならなかった。「聖なるもの」が、そこにはあった。

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エドガー・ポーツネル(明日海りお)

  『ポーの一族』は、旅だ。エドガー・ポーツネルという少年の、いや「永遠の少年」が行く、あてのない旅が『ポーの一族』という作品なのだ。

『永遠に続く旅路の 寂しさ 紛らわせるよう

 人に生まれて 人ではなくなり

 愛の在り処も見失った

 人に生まれて 人ではなくなり

 幸せの残り香も忘れた悲しみを抱いて生きる

 僕はバンパネラ 僕はバンパネラ

  ─エドガー「哀しみのバンパネラ

物語の冒頭、イギリスの片田舎スコッティの村のほど近く、森の中に幼いエドガーと妹のメリーベルが置き去りにされる。そこに通りかかった老婆は「老ハンナ・ポー」と名乗り、二人は一族の館へ連れていく。エドガーの旅は、すでに始まっているのだ。時は経ち、13年後。健やかに育ったエドガーとメリーベルは、二人仲良く暮らしていた。そこへ、美しい貴婦人シーラ(仙名彩世)を伴ってポーツネル男爵(瀬戸かずや)が訪れる。一族の許可が下りれば、二人は結婚するのだという。

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シーラ・ポーツネル

 シーラに対して初恋にも似た淡い感情を抱いていたエドガーの想いは脆くも崩れ落ちるが、エドガーの心に暗い影を落とすのは、それだけではない。作品を通して、エドガーは自らの出自、あるいはアイデンティティというものを探し求めている。捨て子であった彼にとって、それは妹のメリーベルにとってもそうだが、ポーツネルの一族は自分たちの帰るべき、帰属するべき故郷ではない。「捨て子であること」、「自分が一族の人間ではないこと」つまり「自らの出自の曖昧さ」をエドガーとメリーベルは痛感している。

リーベル「お婆ちゃま。私たちどこから来たの?」

老ハンナ「さぁね…。自分がどこの誰かなんて、大切なことじゃないよ。

     私も、レダも、エドガーもみんなお前が好きなんだから」

ペッペ「館の老ハンナ様は、バンパネラの一味だって父ちゃんが言ってた」

エドガー「嘘だ!お婆ちゃまは優しい人だ!」

ジョージィ「お婆ちゃまだって」

レミ「お前、捨て子だったから知らないんじゃ…」

エドガー「黙れ!(どつく)

レダ「あぁ、お捜ししていました。今夜の儀式は特別です。

   お子様たちは離れにて、早くお休みなさいますよう」

エドガー「ええ?館には入れないの?

レダ「はい。一族の方のみ」

エドガー「僕たちだってこの館で育ったのに…」

リーベル「貰われっ子だから?」

エドガー「いいや。そんなことないよ。お婆ちゃまはいつも言ってる。

     僕たちを愛してるって」

 ポーツネルの館で育ちながらも一族としての扱いは受けることが出来ないエドガーにとって、自らのアイデンティティ、そして生きることを支えているものは、妹のメリーベルと「自分が人間として存在する」ということだったのではないだろうか。悠久の時を生きるバンパネラになったエドガーが、「一番古い記憶はメリーベルの泣き声だ」と語るように。

 しかし、程なくしてそのアイデンティティすらも崩壊する。シーラと男爵の婚約式だったはずの「秘密の儀式」は、シーラをポーツネルの一族に、すなわち永遠の時を生きるバンパネラの一族へと迎え入れるための儀式だったのだ。その一部始終を盗み見ていたエドガーは思わず声を上げ、見つかってしまう。そして老ハンナは告げるのだった。「大人になったら、我々の一族に加わるね」と。メリーベルを養女に出すことを条件に、エドガーは自らの運命を受け入れる。だが、運命の歯車は唐突に動き出す。「秘密の儀式」を盗み見ていたのは、エドガーだけではなかったのだ。村の子供たちは大人たちに密告し、やがて運命の日が来る。決起した村人たちはポーツネルの館を襲い、老ハンナが消滅させられてしまう。一族の危機に際して、大老ポーは予定を早めてまだ少年のエドガーに自らのエナジーを送り、彼を不死の一族に迎え入れる。燃え落ちる館からポーツネル男爵たちと逃げ出す。馬車の中で目が覚めたエドガーは二人を振り切って、朝市の開かれているコヴェント・ガーデンへと行き着く。日光に目が眩むようになってしまった自らの変化に戸惑っていると、ひとりの少女に声をかけられる。「バラはいかが?」と勧める彼女を一度は振り切るが、トゲが刺さって血の流れる彼女の指を見た途端、エドガーは衝動を抑えきれず少女の首元からエナジーを吸ってしまうのだった。

『狂った僕の行方を 誰が知っているだろう

 狂った僕の心を 誰が癒せるのだろう

 僕は狂っている もう後には 帰れない』

  ──エドガー「エドガーの狂気」

 メリーベルと離れ、人間ですらなくなったことにエドガーは絶望する。自らを支えていたものが、するりするりと掌から落ちていく。しかし絶望しているのはエドガーだけではなかった。当のメリーベルもまた、自らの人生に絶望していた。ロンドンへ行ったメリーベルには婚約相手のユーシスがいたが、ユーシスの母親がメリーベルとの結婚に反対し、思い余ったユーシスは自殺してしまう。兄は行方知れず、婚約相手は自殺。打ちひしがれるメリーベルの前に現れたエドガーは、「どこまでもお兄様についていくわ」と告げる妹の首筋からエナジーを注入し、彼女を一族に迎えいれるのだった。

 自分がバンパネラとなり、妹までもバンパネラにしてしまうエドガーの葛藤を、明日海りおはその表現力・演技力でもってこれ以上ないほど巧みに描き出している。特にコヴェント・ガーデンで薔薇売りの少女の血を見た瞬間に豹変するエドガーを静かに、しかし完璧に演じるあの場面。そして、メリーベルバンパネラにする場面は舞台上では一瞬の出来事だが、その一瞬に込められたエドガーの感情の揺れをも巧みに演じる明日海りおの力。

 男爵とシーラの言う「永遠の愛」をエドガーは信じられない。バンパネラに愛などあるのかと、エドガーは言い捨てる。

エドガー「後悔してないの?」

シーラ「何故?望んで一族に加わったのに」

男爵「私たちは愛し合っているんだ」

エドガー「愛⁉バンパネラに愛なんてあるの?」

老ハンナ「エドガー!」

シーラ「あるわ」

エドガー「僕には分からないよ!永遠に」

 

 エドガーにとって「愛」とは、人間だけに許される特権のようなものだったのかもしれない。「永遠の命」を受けいれることは、「愛」を、それも「メリーベルへの愛」を捨てることに他ならなかったのだ。それでも、それでもエドガーは愛する人を永遠の道連れにしてしまう。永遠の命を心の底から嫌っていながら、それでもメリーベルの手を取ってしまう。これでは自分が軽蔑するシーラや男爵と同じではないかという葛藤が、そこにはあっただろう。だからこそ彼は、バンパネラになってから100年以上が経っても、一族に対する呪詛を吐き続ける。自分たちは呪われた一族だと、血を吸わなければ生きていけない怪物だと。そしてこの呪詛は、他ならないエドガー自身に向けられたものなのだ。

 メリーベルを守るため一族になったエドガーは、”貧血”の続くメリーベルのために「血」を探すことにする。イングランドの港町ブラックプールへとやってきたポーツネル男爵一家はホテルに滞在しながら、それぞれの「生贄」を選び始める。ブラックプールの有力者であるトワイライト家の跡取り息子であるアラン・トワイライトと偶然ホテルで知り合ったエドガーは、彼の通う学校セント・ウィンザーへ潜入する。肩書きなど関係なく、ただ一人の人間として自分に向き合うエドガーにアランは段々と心を許し、メリーベルとも親交を深めていく。

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アラン・トワイライト(柚香光)

 その一方でシーラと男爵はホテル内の病院を経営する若いクリフォードとその婚約者のジェインに目を付け、接触していく。ある日、アランの母レイチェルの病状が思わしくなく、もう先が長くないことを知った伯父のハロルドは娘のマーゴットと早く結婚するようアランを急かす。財産目当ての愛のない結婚などしてたまるものかと、アランは家を飛び出し、メリーベルのもとにたどりつく。そこでアランはメリーベルに将来を誓って欲しいと告白をするが、メリーベルは首を横に振る。エドガーとの交流の中でアランに芽生えていた疑念はこの時確信に変わった。彼らは人間ではない──。そこにエドガーが現れ、彼を永遠の旅へといざなう。

 また体調を悪くしたメリーベルは海辺の診療所でクリフォードの診察を受けることになり、シーラは雨の中メリーベルを迎えに行く。そこでクリフォードと出会ったシーラは雨宿りのために海辺の小屋に駆け込み、クリフォードを手にかけようとする。しかしすんでのところでシーラの正体に気付いたクリフォードは立てかけてあったピッチフォークを手に取り、彼女の心臓に突き刺す。ジェインを助けるためにクリフォードが海辺の診療所へ急ぐ一方で、シーラはなんとかホテルまで戻る。彼女を見たエドガーはメリーベルを助けるためホテルを出る。海辺の診療所へ戻ったクリフォードは、ポーツネルの一族の正体をジェインに告げ、銀の弾が込められた拳銃をメリーベルへ向ける。一発の銃声が響き、メリーベルが消滅したとき、そこにエドガーがやってきた──。その頃男爵とシーラは足早にホテルを去ろうとするが、バンパネラであることを見破られ、メリーベルと同じように銀の銃弾に倒れ、消滅する。ついに一人になってしまったエドガー。そしてアランもまた、孤独の道を突き進んでいく。母のレイチェルと伯父のハロルドが抱き合っているところを見てしまったアランは、弁明するハロルドを階段から突き落としてしまう。もう戻れないのだと絶望するアランのもとに、エドガーが現れ、言う。

エドガー「おいでよ」

アラン「君たちの仲間になるの?」

エドガー「ああ。ポーの一族に加わるんだ。君もおいでよ。

     一人では寂し過ぎる」

アラン「行くよ。未練はない」

 愛する人が消滅したエドガーにとって、アランとはどのような存在なのだろう。ただの道連れなのか、それとも彼にとってかけがえのない存在なのか。人間でなくなり、メリーベルまでもが消えてしまった以上、エドガーの旅は真の意味であてのない彷徨になってしまった。そして、男爵とシーラが消滅したこと、それも二人が同時に消滅してしまったことも、エドガーには大きな意味を持つ。男爵とシーラの語る「永遠の愛」は、「ただ二人が永遠に生きていられるから」という、エドガーにとっては憎むべき「一族の呪い」に依拠するものだった。しかし彼らは、消滅するその瞬間まで愛し合っていたのだ。まさしく「共に命果て、共に塵となるまで」。ポーの一族に愛などないと考えていたエドガーは、シーラ・男爵・メリーベルの消滅を経てなおアランを一族に迎えいれる。ポーの一族には、愛する人が必要なのかもしれない。いやきっと、そうなのだ。シーラと男爵が、「私たちは愛がなくては生きてはいけない寂しい生き物なのだ」と言っていたように。愛がなければ生きてはいけない。この一点においてバンパネラは、いやポーの一族は、人間よりも人間らしい生き物なのである。

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フィナーレ・デュエットダンス。絵画のような二人。

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