感情の揺れ方

それでも笑っていたい

紅ゆずる・綺咲愛里の退団によせて

  紅ゆずる・綺咲愛里の退団公演、『GOD OF STARS─食聖─/Éclair Brillant』が7月12日に宝塚大劇場で初日を迎えた。この公演の大千秋楽、すなわち10月13日の東京宝塚劇場公演を持って、二人は宝塚を去る。紅ゆずるは男役ではなくなり、綺咲愛里は娘役ではなくなる。その日が確かにそこまで来ている。このエントリーでは、二人の宝塚人生を振り返ってみたいと思う。

 まず、紅ゆずるは2002年に入団の88期生。同期には元宙組トップスターの朝夏まなとらがいる。『プラハの春/LUCKY STAR!』で初舞台を踏んだ紅ゆずるは、しかしその中にあって若いころからの抜擢があったわけではなかったように思う。いやむしろ、紅ゆずるというトップスターが誕生するまでの間には長い道のりがあった。彼が初めて新人公演の主演を経験したのは入団から7年目、ラストチャンスにあたる2008年の『THE SCARLET PIMPERNEL』だった。この新人公演で、紅ゆずるという男役は一躍組の中心的な若手になった。当時の星組トップスター安蘭けいが退団し、2009年に柚希礼音がその羽根を引き継ぐとまず『太王四神記』のチュムチや、2010年『ロミオとジュリエット』のマーキューシオ、2011年の『ノバ・ボサ・ノバ』での三役役替わりなどを経て、同年の大劇場公演『オーシャンズ11』ではついにテリー・ベネディクトという2番手の役を演じるようになった。2011年にはバウホール公演『メイちゃんの執事』で初めてのバウ主演を経験している。入団11年目でのバウ主演や12年目での2番手就任は、遅咲きの部類では決してないだろう。もちろん早くから新公、バウ、東特、2番手就任と路線を突き進む男役も少なくない。89期生の明日海りおや95期生の礼真琴などはその典型的な例だろう。しかし、現雪組トップスターの望海風斗が初めて東特の主演をしたのは入団から13年目で、これは紅ゆずるが『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で東特主演を演じたときと同じ学年だ。紅ゆずるという男役をさかのぼるにあたって言及しなければならないのは、なんと言っても「2番手時代の長さ」だろう。2011年に2番手の羽根を背負ってから彼がトップスターに就任するまでには、6年以上の歳月がある。個人的な感覚にはなるが、ひとりの男役が2番手を務めるのは短くて2年、長くても5年だ。しかも長くなる場合は大抵が組替えを経験しているが、紅ゆずるは配属からトップスター就任まで星組一筋の生え抜きである。こういう例は少ないだろう。2000年以降ならほとんどいないのではないか。異例とも言える2番手期間の長さにはいくつかの理由がある。まず一つ目に挙げられるのは、トップスターを務めていたのが柚希礼音だったということだ。柚希礼音は2009年に星組トップスターに就任すると、2015年に退団するまでのおよそ7年間「トップオブトップ」として活躍し続けた。このようないわゆる長期政権で問題になるのは「後任が誰になるのか」だ。花・月・雪・星・宙という5組が存在する宝塚にあって、各組の特色あるいは「カラー」というのは重要になってくる。花ならダンス、雪なら和物というように、それぞれの組には特徴がある。そして「組替え」による組と組との交流は、組全体、むしろ歌劇団全体での化学反応を起こす。だからこそ組替えは必要だと個人的に思っているのだが、結果的に柚希礼音の後を引き継いだのは紅ゆずるではなかった。当時、専科の実力派として別箱での主演経験も多かった北翔海莉が星組トップスターに就任したのだ。おそらく劇団としては、柚希礼音が作り上げた、あるいは固めてきた星組全体のイメージやカラー、特色といったものに別方向からの刺激を与えようとしたのだろう。新鮮な空気は、新鮮な活動を生む。妃海風という実力のある娘役を相手に迎えた北翔海莉が引っ張る星組は、確かにそれまでとは違う魅力を見せ始めたように思う。ブロードウェイミュージカル『ガイズ&ドールズ』、オペレッタ『こうもり』、和物の『桜華に舞え』など、それぞれが北翔海莉・妃海風でなければ成功しない作品であり、一ファンとしては組全体が成長したように感じた。本公演3作、2年にも満たない在任期間を経て、星組トップスターの羽根は北翔海莉から紅ゆずるに引き継がれた。2016年、ようやく星組トップスター紅ゆずるが誕生したのだ。柚希礼音、北翔海莉というそれぞれに特色のあるトップスターのもとで技術を磨いた彼の舞台姿はまさに頼もしいの一言だった。大劇場お披露目公演は、彼が初めての新人公演主演を果たしたあの『THE SCARLET PIMPERNEL』。七海ひろき、礼真琴を従えて、新たな星組の船出を飾るにふさわしいパフォーマンスだったように思う。

 

 そして、入団15年目にしてトップに就任した彼の相手役を務めたのが綺咲愛里だ。彼女は2010年入団の96期生。同期には元花組トップ娘役の花乃まりあ、元雪組トップ娘役の咲妃みゆなどがいる。彼女のトップ娘役就任は、その2人と比べれば遅かった。入団7年目のトップ娘役就任は決して早くない。むしろ遅いと言っていいだろう。前任の妃海風が95期生であり、綺咲は96期生。トップ娘役の羽根が1学年下の娘役に引き継がれることは多くない。では、なぜ綺咲愛里はトップ娘役に選ばれたのだろうか。それには大きく2つの理由があるように思う。

 まず、綺咲愛里という娘役には、彼女にしかない魅力がある。「説得力」だ。それも、「ただただめちゃくちゃかわいい」という至極シンプルな要素から生まれる「説得力」が彼女にはある。彼女の圧倒的なかわいさ、あるいはキュートさというものは、宝塚の娘役には欠かせない。宝塚の娘役にはさまざまなものが求められるが、そのひとつに「ヒロイン感」がある。これはひどく曖昧な要素だが、しかし舞台に立つ組子たちを見るとその存在は認めざるをえない。綺咲愛里にはそれがある。十分なほどに。なんというか、見る者に「あぁ、この人がヒロインだよな」と思わせる力があるのだ。そりゃあこの人がセンターに立つよな、と。有無を言わせぬ綺咲愛里のかわいさは、彼女の持つスタイリング力に裏打ちされているように感じる。宝塚というのは非日常的な、観客に夢を見させるためのものだ。その中にあって、宝塚のヒロインというのはどうしても浮世離れした、ともすれば非現実的な存在になってしまうことが多い。しかし彼女はそのスタイリング力で、役にある種の説得力を持たせる。それが彼女の魅力である「説得力」だ。この表現が的確かどうかは分からないが、彼女はヴィジュアル面のセルフプロデュースに秀でている。それは単純なメイクの技術だけではなく、ウィッグの作り込みや衣装をどう着こなすのかといった細かいポイントにまで及ぶものだ。綺咲は、そのどれをも的確にこなす。きっと、自分の強みが分かっているのだろう。自分という素材にどうやって手を入れれば素晴らしいものが出来るのかを分かっている。例えば『THE SCARLET PIMPERNEL』のマルグリットは大人の女性だ。彼女は眉毛をすべて剃り落とし、その童顔をうまくメイクアップしてみせた。退団公演の『食聖』で演じたアイリーンはピンクの髪が特徴的なキャラクターで、へそ出しのジャージなど衣装も独特なものが多いが、スタイリングを済ませた彼女を見ると違和感がない。この違和感のなさ、「説得力」を最も発揮していたのは、『霧深きエルベのほとり』で演じたマルギットだろう。許嫁との結婚に反発して家を飛び出した貴族の令嬢という、現代日本ではまるで共感されないキャラクターだが、やはり彼女が演じると違和感がない。あぁ、これが貴族の令嬢かと、スッと腑に落ちる感覚があった。その完成されたヴィジュアルは唯一無二の魅力である「説得力」を生む。それが彼女のトップ娘役たる理由のひとつだ。

 そしてやはり、彼女がトップ娘役に就任したのは「紅ゆずるの相手役」だからだろう。退団公演が始まった今、2人のパフォーマンスを振り返って思うのは「相性の良いトップコンビだったな」ということだ。紅ゆずると綺咲愛里。語弊を恐れずに言えば、歌と踊りに関して彼らは決して技巧派のトップコンビではない。紅も綺咲も、歌がうまいとは言えないと個人的には思っている。そして紅は、激しいダンスを踊るタイプではない(もちろん、『風と共に去りぬ』前に体調を崩したことも影響しているのだろう)。それは綺咲も同じだ。彼女はおそらく、地声の低さと娘役的な歌唱方法との相性が悪いのだろう。ではなぜトップコンビとしての2人の相性が良いのかと言えば、それはヴィジュアル面と舞台での立ち居振る舞い、特に芝居の相性が良いからだと私は答えたい。まずいわゆる宝塚的でスラっとした美丈夫である紅と、童顔でかわいらしい綺咲との組み合わせの良さは言うまでもないだろう。そして、紅ゆずるには他の誰にもない懐の深さがある。それは長い2番手期間の間に養われたものかもしれない。トップスターとしてセンターでドンと構える紅ゆずるの堂々とした舞台さばきは、早霧せいなのそれに通ずるものがある。あの包容力がなければ、綺咲愛里の活躍も、礼真琴の躍進もなかっただろう。紅ゆずるの懐の深さと、綺咲愛里の持つ芯の通った娘役としての説得力は、決して技巧派ではない彼らのパフォーマンスを唯一無二のものに高めていった。『ANOTHER WORLD』での康次郎とお澄の掛け合いは見事だったし、『エルベ』はまさしく名作と言って良いだろう。紅ゆずるの歩いた長い道のりは、綺咲愛里と出会うことによって、もちろんその反対もそうだが、完成したのだ。この2人には、決して歌唱力や踊りだけではない「宝塚的な魅力」があった。彼らの退団は、本当に寂しい。どうかこの公演を最後まで無事に走り抜けてくれることを願うばかりだ。数多の仲間たちを涙で見送った紅ゆずるには、その最後を笑顔で迎えて欲しいと、心からそう思う。

 余談にはなるが、綺咲愛里のベストパフォーマンスをいくつか挙げて終わりたいと思う。まず、芝居の方はさっきも言ったように『霧深きエルベのほとり』と、『うたかたの恋』のマリー・ヴェッツェラ。ショーでは、『Killer Rouge』の第7章、『薔薇は美しく散る』。この曲を歌うのに、彼女以上に説得力を出せる人はいない。そしてなんと言っても台湾公演の『Killer Rouge』の終盤、『タイミング』の場面。語弊はあると思うが、2018年宝塚のベストバウトはこの場面だ。ぜひ見て欲しい。私はこの場面が大好きなのである。

 

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『薔薇は美しく散る』での綺咲愛里

 

 

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