感情の揺れ方

それでも笑っていたい

アダム・ウィンガード監督『ゴジラvsコング』

 ツッコミたい。もはやこれはツッコミたいなと思わせるところまでを含めた映画体験、エンターテインメントだと思うのだが、それでもツッコミを入れずにはいられない。『ゴジラvsコング』という映画を観たあとに浮かんできたのはそんな感想だった。 

 2014年に公開されたいわゆるハリウッド版ゴジラGODZILLA』と2017年の『キングコング:髑髏島の巨人』の世界観をクロスオーバーさせた「モンスター・バース」シリーズの第4弾となる今作のメガホンを取ったのはアダム・ウィンガード氏だが、マイケル・ドハティ氏が監督と脚本を務めた前作『キング・オブ・モンスターズ』と比べると、振り切った部分が少ないような印象を受けた。前作はとにかくたくさんのタイタン─怪獣を画面に次々と、そして所狭しと登場させ、芹沢博士の最後に代表されるような人間とゴジラとの関係やモスラゴジラとの関係など要所要所にぶっ飛んだ世界(般若心境の劇伴も忘れてはならない)を観客に見せつけていた。それが良いのか悪いのかは別として、スクリーンに登場するゴジラや他の怪獣が見たいという欲求は確実に満たされた。

 しかし今作は『ゴジラvsコング』というタイトルの通り、登場するのはゴジラとコング、メカゴジラが主である。そのため、演出と脚本には人間ドラマに焦点を当てた部分がある。前述したように『KOM』にも人間側を描く場面は多かった。結論から言えば『vsコング』におけるそれが私の好みではなかったのだが、つまり「この現代においてリアルな陰謀論をエンタメとして楽しめるのか」という疑念が浮かんできてしまったのである。前作の終わりから3年が経過した世界において、ゴジラとコング以外のタイタンは二匹の前に敗れ去り(冒頭でダイジェストされていてびっくりした)、ゴジラはどこかで、コングはモナークに保護される形で平穏を保っていたが、ゴジラは突如「エイペックス社」の研究所を襲撃する。ゴジラを自らの守護天使としているマディソンはゴジラが無意味な襲撃を行うはずがないと信じ、友人のジョシュを伴って、「タイタンの真実」というポッドキャストのホストで陰謀論を語り続けるバーニーのもとを訪ねる。あきらかに「ヤバいやつ」として描かれるバーニーが気になって仕方がない。「最後の王」として故郷を探すコングと、大切な人を失い「真実」を求める人間とでなにかがあるのかと思っていたが、そこが掘り下げられるわけではなかった。試写の時点では大不評で大幅な変更があったらしいので、そういった部分には制作陣も苦労したのだろう。

 

 2つ、ものすごく個人的に気になったところを述べたい。まずはメカゴジラ。なんというか、メカゴジラかぁ……。おそらくメカゴジラをめぐる色々な物語があったのだろうと思うのだが、そこもおそらくカットが入ったのではないか。ゴジラとコングをギリギリまで苦しめたものの、ジョシュの活躍で沈黙するクライマックスは笑いながら見ていたが、あれはおそらくヤマタノオロチの逸話に敬意を払った演出なのではないかと思う。ギドラの自我が蘇ったとはいえ、機械仕掛けの神に引導を渡すのは神たるゴジラでなくても良いのだ。

 次に小栗旬が演じた芹沢蓮。前作で散った芹沢博士の息子という設定なのだが、そのあたりはまったく活かされていなかった。メカゴジラとリンクするシーンばかりが取り沙汰されていて、不憫ですらある。

 しかし映像は素晴らしく、地下空洞は幻想的かつ美しかった。ゴジラとコングの戦闘シーンではそれぞれ視点に立った主観映像も多用されていて、下から見上げるばかりの人間的なものだけではない、立体的な映像を楽しむことが出来る。同じ高さでゴジラと相対したい。そんな気持ちを感じる。結末についてはこう、「俺(ゴジラ)は地上、お前は地下!」みたいな感じなのかと思う。散々言ったけれど、「モンスター・バース」には出来る限り続いて欲しい。