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ルイジ・ルキーニは「信頼できない語り手」か?~2014年花組公演ミュージカル『エリザベート─愛と死の輪舞─』より~

信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、信用できない語り手、英語: Unreliable narrator)は、小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである。  ──wikipedia より 

 「信頼できない語り手」という用語はアメリカの文芸評論家ウェイン・ブースの1961年の著書『フィクションの修辞学』において初めて紹介された。いわく、「一人称の語り手は信頼できない語り手である」と。例えばアガサ・クリスティの小説『アクロイド殺し』の語り手、あるいはブライアン・シンガー監督の映画『ユージュアル・サスペクツ』の語り手など、「信頼できない語り手」は言葉で説明するよりも具体的に「彼が信頼できない語り手だ」と例を挙げてしまう方が分かりやすいかもしれない。「物語を語るその人が本当のことを語っているとは限らない」し、「語り手が出来事のすべてを正しく理解しているとは限らない」。

 「信頼できない語り手」にはいくつかの種類が存在する。まずは『アクロイド殺し』や『ユージュアルサスペクツ』のように、「読者を騙そうとする語り手」。wikipediaにのっとった表現を用いたが、しかし後者の場合騙されているのは作品を観た者でなく登場人物であるため、厳密に言えば「騙そうとする語り手」ではないかと思う。次に「精神に問題のある語り手」、他にも「子供の語り手」、「記憶の曖昧な語り手」なども「信頼できない語り手」のひとつのパターンである。

 「信頼できない語り手」という言葉の説明はこのくらいにして、そろそろこのエントリーの主題へと移りたい。それはミュージカル『エリザベート』の狂言回し、つまりは語り手であるところの「ルイジ・ルキーニ」が「信頼できない語り手」であるかどうか、ということである。

 まずミュージカル『エリザベート』はその名の通りオーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリザベートの生涯を描いたウィーン発のミュージカル作品であり、日本では宝塚歌劇団が1996年に初演を行っている。大枠としては、わずか16歳でオーストリア皇后となるが、伝統を重んじる宮廷との軋轢に苦しみ、やがてウィーンを離れ、ヨーロッパ中を流浪する旅の果てに暗殺された后妃エリザベートの波乱に満ちた生涯を、彼女につきまとい誘惑する「死」という架空の存在*1を通して描くというものになっている。そして、この作品はエリザベートを殺害したまさにその犯人であるルイジ・ルキーニによって「語られる」のである。エリザベートの物語の語り手は、ルイジ・ルキーニなのだ。

 舞台はまず、煉獄でルイジ・ルキーニが裁判にかけられているところから幕を開ける。彼はエリザベート殺害事件の被告人として、暗殺から100年経った後でも裁判官から尋問を受けていた。「俺はもうとっくに死んだんだ」「こんなことをしてる間に、ハプスブルクはとっくに滅んじまったぜ」とうそぶく彼に、裁判官は皇后殺害の動機を問う。「皇后本人が望んだんだ」とルキーニは答えるが、裁判官は取り合わない。すると彼はエリザベート本人ではなく、ハプスブルクの黄昏をエリザベートとともに生きた人々の魂を呼びよせ、エリザベートのことを語らせ始める。そしてその中には黄泉の帝王トート、「死」が立っている。「愛だ死だの、精神錯乱のフリをして逃れようとするのはやめろ」と裁判官に問い詰められたルキーニは言う。

「見えないんですかい裁判官どの!

 トート閣下までおでましくださったのに!」

「俺はマジだぜ!」

「Un grande amore…偉大なる愛だ!(殺害の動機への返答として)」

 そして舞台は1853年のバイエルン王国へ移る。そこにはまだ少女のエリザベートがいた。そして、ルキーニは狂言回しとして彼女の人生を語っていく。1853年からエリザベートが死ぬ1898年まで、ルキーニはさまざまな人物の皮を被りながら、常に語り手としてそこに存在する。それもただ舞台の登場人物としてではなく、いわゆる「第四の壁」を破る存在として、こちら側に語りかけてくるのだ。ときにマクシミリアン公爵一家の荷物持ちとして、カフェの店員として、牛乳売りとして、カメラマンとして、土産物売りとして…時間や空間を超えて、そこにいる。このミュージカル『エリザベート』は、シシィ*2の生涯を描くという意味では彼女の物語だが、しかしルイジ・ルキーニがそのすべてを物語るという意味において「ルキーニの物語」でもあるのだ。そのため、エリザベートもフランツもルドルフも、そしてシシィにつきまとう「死」もルキーニの物語の登場人物でしかない。

 「語り手」としてのルキーニはそれゆえ、エリザベートの人生における存在感を有していない。それは先述した肩書の多さ、時間と空間の束縛から解放されていることに由来するものだが、このことは黄泉の帝王たる「死」にも共通する特徴である。「死」もまた、ある時は司祭として、ある時は革命家として、ある時は医者としてエリザベートの人生に立ち会う存在だ。「死」と「ルキーニ」に共通している「実体の希薄さ」とでも言うべきこの特徴には注目しなければならない。

 そもそも「死」を、ルキーニはどのように語っているのだろう。姉のヘレネが時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とのお見合いへ行くという話題に興味を示さないエリザベートは、木に登って曲芸の練習をしていたが、足を滑らせて高所から落下し意識を失ってしまう。冥界とでも言うべき場所に迷い込んだ彼女はそこで「死」と出会う。「死」はエリザベートに一目で魅了され、生きた彼女に愛されることを願って命を返すのであった。その様子を見て、ルキーニは「人が死を愛するなんてことがあるのだろうか」と語りかける。エリザベートにつきまとう「死」に関するルキーニの語りは続いていく。黄昏時に行われたフランツとエリザベートの結婚式に影の司祭として潜り込んだ「死」の姿を、結婚後宮廷の格式と伝統に耐えられず、自分が宮廷において孤立無援であることを悟ったエリザベートが喉元にナイフを当てながらも強く生きていくことを決意する場面を語っていく。ここでルキーニは、ある重要な言葉を語る。

「閣下はまたしてもエリザベートを生き永らえさせた。

 しかし彼女はそんなことを知らない。

 目の前の困難な現実しか見えないのだ」

 エリザベートに対する「死」の誘惑は続く。ある時はルドルフの教育方針をめぐってフランツと対立し疲弊したエリザベートの前に現れ彼女を誘惑し、ある時はハプスブルクの崩壊を狙って民衆を革命へと扇動する「死」の姿は、ルキーニの言葉を借りればまさしく「キッチュ」である。自分の美貌を磨くために努力を惜しまないエリザベートは、あるとき過度なダイエットで倒れてしまう。そこに医者として現れた「死」は、「フランツは私を愛している」という彼女にフランツの不貞の証拠写真を見せつける。

 「私、生きていけない」

「死ねばいい!」

 「死」はエリザベートを誘惑するが、「あなたが本当に『死』だというなら、私の命を奪えばいい。だけど、あなたを愛することは出来ない」と答える彼女に「今に死にたい時が来る」と告げて「死」はどこかへと消えていく。

 エリザベートの愛を求める「死」の魔の手は、彼女の息子であるルドルフへと迫る。ルドルフは権威主義的な統治を続ける父のフランツと対立し、ハンガリーの革命家たちとともに新たなドナウ連邦を樹立するため、ハンガリー国王となって母の愛を手に入れるために立ち上がるが、「死」に唆されて行った蜂起は失敗し皇位継承すらも難しくなってしまう。そんな折、ウィーンへ久々に戻った母のエリザベートに父への口利きを頼むが、宮廷とのかかわりを断ち切っていた彼女は息子の願いを拒む。母の愛を手に入れられず、自らの将来をも失い、悲嘆にくれるルドルフへ声をかけたのは友達である「死」だった。

「もうこれ以上、生きるあてもない」

「死にたいのか」

 絶望するルドルフは自らに拳銃を向け、「死」の口づけを受ける。ルドルフの死に悲嘆するエリザベートは「死」にすがりつき、「死」もまた彼女に「死」の口づけを与えようとするが、彼女の目を見てそれをやめる。

「まだ私を愛してはいない」

「死は逃げ場ではない」

 「死」が求めるのは、エリザベートの愛なのだ。絶望するエリザベートはその後、喪服を身にまとったまま旅を続けた。「愛はすべての隔たりを超えられる」というフランツの言葉にも耳を貸さず、彼女がウィーンへ帰ることはなかった。

 そしてルキーニの証言、すなわち「語り」は最終場面へと移る。

「あなたは恐れている 彼女に愛を拒絶されるのを」

「違う!」

 

 煉獄でフランツに問い詰められた「死」は、ついにルキーニへあのナイフを手渡す。かつてエリザベートが自らの喉元へ向けたあのナイフを。そのナイフを手に、ルキーニは1898年のスイスはジュネーブレマン湖畔へ向かう。そしてエリザベートの胸にナイフを突き刺し、彼女はついに「死」に抱かれて魂の救済を受けるのである。

 以上がルキーニの「語る」エリザベートの生涯と「トート」の関係なのだが、このような「死」に関するルキーニの語りの中に、気になるところがいくつかある。それはまず「『死』は人を殺すことが出来ない」という点である。「語り」の中で「死」が口づけたのはエリザベートとルドルフの二人だが、まずルドルフは自ら死ぬことを選び、そしてエリザベートはルキーニの手によって殺された。「トート」は二人の「死」を「受け入れた」だけだ。思うに、「トート」が出来るのは、人の死を「受け入れる」か「拒否する」かの二択なのではないだろうか。なぜなら、「トート」は「死」であって「死神」ではないからだ。トートは命を奪うことが出来ない。このことは幼いルドルフとトートが初めて出会う、友達になる場面からもうかがえる。

「僕はなるんだ 強い英雄に

 昨日も 猫を殺した」

 幼いルドルフがこう語ったとき、トートの表情は曇る。その真意は分からない。しかし幼い少年が命を奪ってしまうこと、そのことに対して「死」がどう感じているのかを考えることは有意義ではないだろうか。非常に示唆に富む場面である。

 そしてやはり、トートは命を奪うことが出来ないのだから、「エリザベートに愛される」ということは「エリザベートが絶望からではなく、ただ『トート』を求めること」、換言すれば「トートのもとに行くこと、死ぬことを手段としてではなく目的としてエリザベートが考えること」だろう。「死は逃げ場ではない」のだから。しかしそう考えると、トートがエリザベートの最期をルキーニに任せたことには疑問が残る。エリザベートはルキーニに「殺されて」しまったのだから。果たしてそれがトートの本意だったのか。

 そもそも、ルキーニとトートの関係とはどのようなものなのだろう。ルキーニにとってのトートとは、トートにとってのルキーニとは。この作品の「語り手」であるルキーニは、先述したように実体が希薄な存在である。ウィーン版では彼のバックボーンが描かれる場面もあるが、宝塚版にその場面は存在しない。エリザベートの母ルドヴィカやマダム・ヴォルフ、土産のマグカップを求める少女、果ては観客*3まで、さまざまな人物が彼と会話し、コミュニケーションを取る。だが、肝心のトートが彼と話すことはない。ただの一度も、一言も。結婚式の場面やナイフを渡すシーンでは一見コミュニケーションを取っているようにも見えるが、トートの視線はルキーニに向けられていないし、それらの場面はルキーニがいなくても成立するものばかりだ。作品を通して、ルキーニの名前を呼ぶのは煉獄の裁判官だけである。「そこにいるようで、そこにいない」ルキーニ。トートがルキーニのことを認識していたのかが怪しいとすれば、なかばトートに託される形でエリザベートを殺したということすらも疑いの対象になってくる。ラディカルな表現をすれば、そもそも「トート」という存在がルキーニの妄想という可能性もあるのだ。

 無政府主義者であるルキーニがレマン湖畔でエリザベートを殺害したことだけが事実であり、彼の「語り」すべてが作り話、すなわち「キッチュ」だとしたら。そう考えると、冒頭の場面でエリザベートが、エリザベートの魂だけがあの場に現れなかったことにも説明がつく。エリザベートの死、そしてルキーニこそが彼女を殺したことだけが厳然たる事実なのだ。「ハプスブルクの黄昏をエリザベートとともに生きた連中」と「閣下」をルキーニが呼び出したとき、裁判官にはその誰もが見えていなかった。「精神錯乱のふりをするのはやめろ」とまで言った。それが「ふり」ではないとしたら。 

 

 

*1:抽象概念を擬人化し作品の中に描くのはヨーロッパの伝統でもある

*2:エリザベートの愛称

*3:第二幕冒頭「キッチュ」の場面で観客と話すのが恒例になっている