感情の揺れ方

それでも笑っていたい

細田守監督作 映画『デジモンアドベンチャー』『ぼくらのウォーゲーム!』

 『デジモンアドベンチャー』、いわゆるデジモンシリーズの中で「無印」と呼ばれるテレビシリーズが放送されていた当時、果たして世代ど真ん中だった私は毎週の放送を待ちわびていた。それがもう20年も前の話だということにびっくりしているのだが、この2020年4月から無印のリブートとなる『デジモンアドベンチャー:』が放送され始めたこともあり、あの頃を懐かしむような気持ちで劇場版の2作をもう一度見てみるかと、どんな感じだったかなぁと思ったのだ。思ったのだが、「懐かしいな~」というよりも「これはすごいな」という感情でいっぱいになってしまった。いや、本当にすごい。めちゃくちゃ面白い。

 まず1999年公開の『デジモンアドベンチャー』だが、これはテレビシリーズの前日譚を描く20分の短編になっている。時は1995年、太一とヒカリの幼い兄妹は郊外の団地に住んでいる。ある日PCから謎のタマゴが現れ、その中からコロモンと名乗る不思議な生命体が誕生し…。まず注目したいのは美しい映像である。淡い色使いのなかに生き生きと動き回るグレイモンとパロットモンは鮮やかだ。そして20分という短い作品の随所にこだわりのある演出が見られる。作品に登場するのは徹頭徹尾「子供たち」それもテレビシリーズで言われるところの「選ばれし子供たち」だけだ。太一とヒカリの両親が唯一登場するものの、首から上は映ることがない。デジモンの圧倒的な存在と、大人たちの厳然たる不在の対比。子供と大人の間に横たわる大きな溝は、しかし太一とヒカルの間にもある。ヒカルはタマゴが現れてコロモンが生まれ、やがてグレイモンに進化するまでその「怪獣」に親しみを持って接している。一方で太一はヒカルを守るため、その「怪獣」とは一線を引いている。ラストシーンまで続くこの隔たりもひとつの美しさを生んでいる。20分のアニメーションでここまでのものを描くことが出来るのかという感動がそこにある。

   

 2000年公開『ぼくらのウォーゲーム!』も40分という短編映画なのだが、これまた素晴らしい。2000年の夏休み、インターネット上に突如出現した新種のデジモンは、ネットに繋がるコンピューターのデータを食い荒らし、さまざまな企業、機関を暴走させながら急速に進化を始める。世界を混乱に陥れる謎のデジモンを止めるため、事態に気付いた太一と光子郎の二人は選ばれし子供たちを集め、再び戦いへと乗り出していく。まず、40分という上映時間の中で主要の登場人物を4人に絞った脚本が良い。そして核ミサイルピースキーパーを止めることが出来なければ日本が、世界が危機に瀕するという巨大なスケールのストーリーが、お台場のマンションの一室と島根の田舎にある床屋を舞台にして進んで行くという一見アンバランスな組み合わせが、「子供たちと世界の繋がり方」を描き出しているように思えて素晴らしい。お台場と島根、現実とデジタルワールドという大きな隔たりを超えて、太一とヤマトがともに戦うラストシーンが鮮やかだ。そして、謎の新種デジモンは設定上でこそ「クラモン」や「ディアボロモン」といった名称がつけられてはいるものの、劇中でこれらの名前が使われることは一切ない。「名前をつける」という行為は「あるものの正体を突き止めること」あるいは「あるものを対象化し、普遍化すること」であるが、『ぼくらのウォーゲーム!』において「それ」は最後まで「謎の存在」であり続けたのだ。これは第一作の劇場版『デジモンアドベンチャー』でデジモンが子供だけの存在であったように、ディアボロモンが、そしてこの「世界の危機」が子供たちの間でだけ共有されるものであることを示している。デジモンという世界そのものと、そしてこの事件とが互いにファンタジーであるという二重のファンタジーが、この作品をより素晴らしいものにしているのだ。