感情の揺れ方

それでも笑っていたい

庵野秀明『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』

 さらば、全てのエヴァンゲリオン。ありがとう、すべての仕組まれた子供たち。『エヴァンゲリオン』は終わった。電車、ヴンダー、エヴァ。あるいは『エヴァンゲリオン』という作品そのものから、シンジが、アスカが、レイが、退場していった。

 物語終盤のDパート、シンジとゲンドウが相対する場面ではシリーズを通じた今までの各場面が「スタジオに組まれたセット」として描かれ、碇シンジの孤独──葛城ミサトという立派な保護者がいたにせよ──が浮かび上がる。母はすでにおらず、助けたはずの綾波レイは消え、仮称アヤナミすら自らの目の前でLCLへと姿を変えた。現実と空想を行き来する中で、『エヴァ』の伝統的メタファーである電車内で碇シンジ碇ゲンドウは向き合う。それぞれが、それぞれに。ずっと避けていたシンジの中に、ずっと求めていたユイの姿を見たゲンドウは電車を降りていく。しかし、シンジはまだ降りることが出来ない。電車からも、エヴァからも。『シン・エヴァンゲリオン』には、「決着をつける物語」という一面がある。碇シンジは父である碇ゲンドウの因縁に。そして葛城ミサトは、「人類補完計画」を提唱した父親との因縁に。

 「世代を通して引き継いでいくものがある」ということ、「それでも生きていかなければならない」ということの象徴が、Aパート「第三村」の場面である。村の中心とみられる広場は「廃電車の扇形車庫」で、これはこの村が「電車の行き着く先」であること、そして「人々の営みが一度途絶えたこと」を示している。碇シンジは、この村でも孤独だった。鈴原トウジ相田ケンスケといったかつての同級生たちが家庭を築き、小さな社会の中で大きな役割を担っている一方で、自分は肉体的にも精神的にも成長していない。それどころか、第三村の人たちが第三村に生活する原因は自分自身に他ならない。それでも、「生活」を通して徐々に失語症から立ち直った碇シンジは、村を離れヴンダーに戻る決意をする。決着をつけるために。

 なんと表現すればいいのか分からないが、テレビシリーズや旧劇場版、そして新劇場版を観たひとりのファンとして、この作品が終わったことが、そしてチルドレンたちがこのような形で「エヴァを降りることが出来た」ことが、まずもって嬉しい。空想には現実を動かす力が、現実には空想を動かす力がある。