感情の揺れ方

それでも笑っていたい

日々のこと(2022/4/10~)

 東京に来てからだいたい2か月が経った。講義とアルバイトが始まった。学部とは分野の違う専攻なので、力不足を痛感する毎日が続いている。やるしかない。最近はずっとホットケーキを食べている。自分で焼いて。誰に注意されることもないので、びたびたにメープルシロップをかけられる。買ってきたフライドチキンと一緒に食べて、アメリカ気分を満喫している。ちなみにケンタッキーは冷凍できるので、キャンペーン中に買ってストックしています。自炊はぼちぼち。

 研究の方は遅々として進まない。自分が何を研究すればいいのかもいまひとつ分からず、研究計画書に書いた内容の通りに進んでいいのかも分からない。そもそも文学研究のいろはを叩き込む必要がある。哲学の方法論を持ち込まない方が良いことは分かる。なんとなく。現状はとりあえず本を読んでいる。発表の予定も立て込んできているので、読まなければならないもの、読んでおいた方がいいものがそびえている。山々のように。下は読んだ本の一部。

 

 全体よりも部分を重視する日本という文化圏内の文学史において、長谷川時雨は明らかに過小評価されている。彼女が過小評価されているという事実こそが、女性作家ないし女性という存在の軽視を物語っている。『魯肉飯のさえずり』は、社会通念と自分の常識とが、社会の外延と自己の外延とが一致している人─一致していると思っている人─ってムカつきますねという感想。ここ数年のトランプ大統領を巡るアメリカの政治と世論には驚きの連続なのだが、こうやって一冊の本としてまとめられたものを読むとさらに驚いてしまう。まさか自分を大統領に押し上げた民主主義のテーブルをこうも簡単にひっくり返してくるとは思っていなかった。ドナルド・トランプという人間の目的意識の見えなさというか、思いついた手段をとにかく実行することが目的になっているような印象が否めない。中絶権に関する司法の判断が50年ぶりに覆されるかもしれないという報道もあった。トランプが政権に返り咲く可能性は決して低くない。そして『真夜中の子供たち』、ブッカー・オブ・ブッカー、20世紀最高の小説と名高いこの作品。ポストコロニアルマジックリアリズムが織りなすインドの歴史。傑作と言う他ない。

たったひとりの人生を理解するだけでも、世界を呑みこまなければならない

 本以外に費やす時間が現在ほとんどなく、映像作品や漫画はほとんどチェックできていない。映画館に行きたいなと思うものの、まだこの街にフィットできていない。違和感というか、異物感がある。自分自身に。

   

 そんな中で、ドラマ『お耳に合いましたら』は面白かった。主演の伊藤万理華さんは寡聞にして存じ上げなかったけれど、乃木坂46に所属されていたらしい。そのときに出会わなくて良かったと思うほど、彼女の身体表現には特筆すべきものがあるような気がする。アイドルとしてステージに立つ彼女の輝きったら、なかっただろう。最近だと「ピュレグミ」のCMにも出演されています。ドラマで言うと、BSプレミアムで放送されていた『雪国』も素晴らしかった。川端康成の『雪国』を原作に、島村を高橋一生が、駒子を奈緒が演じていた。映像の美しさ。記録的な雪に埋もれる会津の風景に、高橋一生の抑制された声が響く。

「これ徒労でなくてなんであろう。」

 藤本タツキによる読切『さよなら絵梨』の公開もあった。無料公開がもうすぐ終了するらしいので、ぜひ今のうちに。無料公開と言えば、『ゴールデンカムイ』も読んだ。めちゃくちゃ面白かった。ゴールデンウイークの初日はこの作品のためだけに終わった。尾形が好きです。

 最近と言えば、こんな感じに過ぎている。体重が減っている。めちゃくちゃ減っている。年明け以来に会った幼馴染みには「痩せたんじゃなくてやつれている」と言われた。原因は火を見るよりも明らかで、食べていないし寝ていないのだ。いや食べているし寝てもいるのだけど、量が足りていない。とにかく時間がないし、懐も寒い。芝居を一本見られるなら食事は抜けるし、小説を書く時間が作れるなら睡眠時間を削ることも出来る。朝からアルバイト、昼過ぎから夜までは講義というサイクルで生活をしている中で、それでも小説を書くためにはどうしても食事と睡眠の時間を回すしかない。PCを開いたまま机でうたた寝をして、ハッと気づいてベッドに移動するような、そんな感じの日々。今年が勝負なのに、もうすぐ6月になる。焦燥感と、そして罪悪感もある。とにかくやるしかない。