感情の揺れ方

それでも笑っていたい

キャリー・フクナガ監督『007 NO TIME TO DIE』

 シリーズ前作『スペクター』からおよそ6年、ジェームズ・ボンドがスクリーンに帰ってきた。全世界を巻き込んだ新型感染症の影響は大きく、ダニエル・クレイグによるボンドの集大成となるこの作品もまた幾度とない公開延期を余儀なくされた。

 『007』シリーズはある意味で現実と時代とを強く反映する作品である。それは『NO TIME TO DIE』においても変わらず、2020年初頭から大きな変化を余儀なくされた世界に通じるものがスクリーンに広がっていた。ダニエル・クレイグによれば『007』は「恐怖」を描く作品であるという。悪役の根底にあるものは何か。それは時に過激思想という形で表現されるが、今作における「恐怖」は「見えないこと」だった。「見えない」、あるいは「分からない」「知らない」という恐怖。レア・セドゥ演じるマドレーヌの抱える過去を、ボンドは知らない。ラミ・マレック演じるサフィンはあらゆることに対して「NO」を突きつけるかのごとく、能面をつけている。そして作中で最も明確な「恐怖」として描かれるウィルス兵器はまさに見えない「恐怖」だが、「見えなさ」を演出するための「同一カット、画角内でピントの合っている箇所を切り替えていく」という手法は印象的で、「本当に見えているのか?」という問いを観客に投げかけているかのようだった。

 「時代を反映する」のが『007』であるなら、この数年でようやくハリウッドを巻き込み始めたフェミニズム的価値観や「Metoo運動」の影響に言及せずしてこの作品を語ることは出来ないだろう。ボンドの後任である「00」の役職に黒人女性のノーミ(ラシャーナ・リンチ)が就いていること、Q(ベン・ウィショー)は自宅で料理を作りながら「彼」を待っていること。表層的な部分を挙げてもキリがないが……ボンドの行動は明らかにこれまでとは違っている。「『007』を現代で続けていくのは不可能」という認識が一部で広まっているが、その認識が「ポリティカル・コレクトネスの遵守」からのみ生まれているのなら、あまりに作品への愛が欠如していると言わざるを得ない。もちろん愛があれば他者を傷つけていいというわけではないが……。どのような形であれ、ボンドは帰ってくるだろう。希望を込めて、次の引用を。

James Bond will return......