感情の揺れ方

それでも笑っていたい

感想:宙組公演『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-/Délicieux(デリシュー)!-甘美なる巴里-』

 シャーロック・ホームズ。おそらく世界で最も有名な探偵であり、「聖書の次に読者が多い」と評されることもある「ホームズ」が、宝塚の舞台に登場した。並外れた頭脳に詰め込まれた、偏った知識。部屋の壁に銃を打つ(しかも下宿の)などの悪癖……「頭の良い変わり者」というホームズを見事に演じたのは、宙組トップスターとして円熟のときを迎えている真風凉帆。「変わり者」を演じるのは難しい。スタイリングや発話だけで作り上げた「変わり者」はどうしたて薄っぺらくなってしまう。観る者の反応がダイレクトに帰ってくる生の舞台であればなおさらだ。しかしそこはさすがの真風凉帆といったところで、「シャーロック・ホームズ」というキャラクターを所作や立ち振る舞いでしっかりと表現している。舞台の上で彼が見せる演技は、やはり卓越している。『神々の土地』のフェリックス・ユスポフ役で見せた彼のパフォーマンスには素晴らしいものがあったが、トップスターとなった今、さらに別の次元へと進んでいる。

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真風凉帆(シャーロック・ホームズ)

 今作がトップ娘役としての大劇場お披露目公演となった潤花のパフォーマンスにも光るものがあった。「唯一ホームズを出し抜いた敵役」として有名なアイリーン・アドラーを演じた彼女は、2016年入団のフレッシュな魅力を持った娘役だが、美貌のオペラ歌手としての側面や、ときに一国の王さえ相手にする詐欺師としての側面を持ち合わせた難しい役どころが不思議なほどにハマっていた。わけあって恋愛に興味がないホームズをして「the woman」と言わしめるファムファタルを見事に演じる彼女の姿に、これからを期待させられる。

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潤花(アイリーン・アドラー)

 そしてやはり、宝塚版『シャーロック・ホームズ』の根幹を担う役どころであるジェームズ・モリアーティを演じた芹香斗亜がいなければ、この作品が面白いものになることはなかっただろう。真風を支える2番手として悪役を演じることの多い芹香だが、今回のモリアーティはまたテイストの違うキャラクター。ホームズに「ロンドン、いやイギリスで起こるすべての犯罪に関わっている」と言われるほどの悪役はしかし一見天使のような純粋さを持ち合わせているかのように映る。作中を通して強調される「鎖」のモチーフは「過去」、つまり「乗り越えるべきもの」のメタファーだが、モリアーティにはその「断つべき鎖」がない。自由な、解き放たれた悪。ホームズ、アイリーンとの鮮やかな対比が浮き彫りになるにつれ、「バックボーンのない(想像できない)悪役」をしっかりと舞台上に成立させる芹香の実力にもまた光が当たる。ラストシーン、ホームズとアイリーンを見送るあの駅員の正体には言及しないし、その方が美しいのだが、芹香が見せたあの佇まいは「世界から悪が消えることはない」ことを象徴しているようで、すこし背筋が寒くなった。

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芹香斗亜(ジェームズ・モリアーティ)

   

 作・演出を担当した生田大和氏は幼いころに「ホームズシリーズ」を読みふけったらしく、その「ホームズ」への思い入れと「宝塚歌劇」への思い入れがしっかりと表現されている。物語の始まりである「切り裂きジャック」や、大きな構成要素である「ゴールデンジュビリー」などの年代設定に脚色を加える手腕は見事。モリアーティの素性が明らかになるなかで、19世紀末の世界が直面していた、帝国主義や資本主義の発達が生み出した数々の問題にも焦点を当てるという流れも非常に現代的だった。

 「切り裂きジャック」による一連の事件は単独犯によるものではなく、巧妙な組織犯罪であることをホームズが説明する場面の演出は良い意味でとても印象に残っている。「カラーリング」への意識も徹底していた。19世紀末のロンドンを舞台にした本作だが、モリアーティという巨悪が跋扈する世界であること、そしてヴィクトリア女王の治世が終わりに向かいつつあること、拡大する格差によってロンドンの治安が悪くなっていることなどを強調するために、舞台装置から衣装に至るまで、暖色系の色味はほとんど使われていない。その中にあって真っ白なドレスに身を包むアイリーンの美しさやキャラクターが際立っていた。

 「ホームズシリーズ」のエピソードが多分に盛り込まれた本作は、そのあたりの知識がないとすこし置いて行かれる感覚があるかもしれない。ホームズがアイリーンと出会った事件は『ボヘミアの醜聞』、壁に銃弾で描いたVR(Victoria Regina)は『マスグレーヴ家の儀式』、ライヘンバッハの戦いは『最後の事件』。そしてホームズがモリアーティを出し抜くゴールデン・ジュビリーの場面には特徴的な演出があるが、あれはおそらく、ガイ・リッチー監督の映画『シャーロック・ホームズ』のオマージュではないだろうか。あの映画にも、ホームズがいわゆる「第三の壁」を破ってこれから起こることの顛末をこちらに説明してくれるシーンがあるのだ。

 ワトスンを演じた桜木みなと、スコットランド・ヤードのレストレード警部を演じた和希そらのふたりは、さすがの一言。どちらも『アナスタシア』を経て演技に幅が出ているように思う。そして、「悪の象徴」であるモリアーティとは対照的に「善の象徴」たるメアリーを演じた天彩峰里のパフォーマンスは素晴らしかった。元来実力のある娘役だったが、見違えるほど成熟したように思う。今作がサヨナラとなる遥羽ららが演じらハドスン夫人も非常に魅力的で、迷惑な下宿人であるホームズを叱責しながらもどこか愛情を感じる役作りが印象的。新人公演や別箱公演でのヒロインで培った経験を最大限に活かしているだけに、やはり寂しいものがある。

 『Délicieux!』は、野口幸作氏によるショー作品。パリを舞台に、「スウィーツ」と「シャンソン」をテーマにした伝統的なパリ・レヴューとなっている。第1章、プロローグの場面は大階段も使用した豪華かつ華やかな演出となっていて、組子総出のカンカンは圧巻の一言。そのカンカンのセンターでノビノビと踊る潤花は素晴らしかった。『アナスタシア』の劇中で『白鳥の湖」のオデットを舞った彼女の姿は記憶に新しいが、トップ娘役となってさらにキレが増しているのではないだろうか。続く第2章ではなんと芹香斗亜がマリー・アントワネットに扮し、わっかのドレスに身を包む。第5章では遥羽ららを中心に、娘役だけの場面が展開される。宝塚らしい餞だ。107期生による初舞台ロケットはマカロンをイメージした衣装を着た組子がケーキの上に配置されているところから始まり、古き良き豪華絢爛なレヴューを思い起こさせる。耳なじみのあるシャンソンが多く使われているため、間延びすることもなく、非常に楽しいショーだった。唯一、唯一書き残しておくなら、「野口先生までその衣装を着る必要ありますか?」ということなのだが、これはパンフレットを見て欲しい。絶対に笑ってしまうはずなので。

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左から潤花、真風凉帆