感情の揺れ方

それでも笑っていたい

ナタウット・プーンピリヤ監督『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』

「やり方を知っていたからさ!」

  ──『刑事コロンボ』56話「殺人講義」より 

  すべてのトリックを見破ったコロンボに「なぜ殺人を犯したのか」と聞かれた犯人のセリフだ。「殺人講義」の犯人であるロウとクーパーは裕福な家庭に育った大学生で、明晰な頭脳を持つ。そんな二人は自分たちの担当教授を殺害することになるのだが、それは期末試験の問題を盗んだことがバレて単位を取り消されそうになったからだった。彼らのトリックは──いやトリック”自体“は──完璧に思われたが、普通に勉強をしていれば何も問題なく単位を獲得できるであろう彼らの凶行に、視聴者は疑問を持つだろう。なぜそんなことを?と。テスト問題を盗むことなく、真面目に勉強していれば、と。それはおそらく、彼らにずっとコケにされながらも真実を見抜いたコロンボもそうだろう。「なぜ殺したのか」。彼らは答える。「やり方を知っていたからさ!」。彼らは”知っていた”のだ。もっともスマートなやり方を。もちろん「彼らにとって」スマートであるだけなのだが……、一線級の知性が倫理観を備えているとは限らない。そして一線級の知性は、分かってしまうし思いついてしまう。窮状を抜け出す、冴えたやり方を。

   

 「やり方を知っている」のは、ナタウット・プーンピリヤ監督作品『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』に登場する二人の天才、リンとバンクもそうだった。教師である父親と二人暮らしのリンは成績優秀で、奨学金を獲得し名門校へ転入する。そこで彼女は変わってしまう。「やり方」を知ってしまう。学生番号が隣同士で友達になったグレースは学業に難があり、一定以上の成績を取らなければ演劇部としての活動を禁じられることになった。リンがグレースに勉強を教えたうえで臨んだ問題のテストには、リンが教えた通りの問題ばかりが出題されていたが、グレースには解くことが出来ない。リンは正答(マークシート式だった)を写した消しゴムをグレースに渡すという方法で、カンニングの片棒を担いでしまう。グレースの恋人であるパットはその話を聞き、リンにある話を持ち掛ける。報酬と引き換えに、自分と友人に協力しないかと。甘やかされた金持ちの息子であるパットと、父子家庭に育つ自分。名門校に横行する賄賂の存在。さまざまなことを知ったリンはその話に乗ってしまう。ハンドシグナルを用いた彼女のスマートなカンニングを利用する生徒は増えたが、もう一人の奨学生であるバンクに告発され、奨学金と海外留学の機会をはく奪されることになった。ここからリンたちはバンクも巻き込む形で、さらに大きな規模でのカンニングを計画する。自分の置かれた状況から抜け出す方法と、自分の能力を最もスマートな形で活かす方法を知ってしまった以上、リンはもはやカンニングをやめることは出来ない。そしてリンが言うように、彼女にとっての「不正」は「なにかを失うこと」なのだから、カンニングは成功さえしてしまえば「不正」ですらないのだ。グレースとパットはあまりに愚鈍で邪悪だが、リンとバンクとまったく違う点は、「こうするしかなかった」ことと「やり方を知っていた」ことがまったく違うということと同じだろう。リンとバンクは「こうするしかなかった」、つまりカンニングをするしかなかったわけではない。ふたりは普通に勉強をして普通に試験を受けていれば、タイでの成功を約束する「海外留学」の権利を手にすることなど造作もなかった。最終的にリンはすべてを打ち明け、グレースとパットはおそらく破滅の道を進む。おそらくバンクもそうだろう。リンにあって、バンクになかったもの。分かりやすいもので言えばそれは「父親」だが、より根本的な原因で言えば「環境」だろう。パットのように裕福ではないにしろリンの父親は教師であり、家には車もピアノもある。しかしバンクは違う。そのどちらもない。「残りの人生をしがない洗濯屋として過ごせるのか」と考えてしまったことも、バンクが「やり方」を知る原因の一つだろう。クライム映画でありながら、タイというの不平等さや教育システムが抱える問題への批判も含みつつ、疾走感のある演出でエンターテインメントへと仕立て上げたナタウット監督の手腕は素晴らしい。そしてやはり、リンを演じたチュティモン・ジョンジャルーンスックジンの演技は称賛に値するものだった。