感情の揺れ方

それでも笑っていたい

設楽統の妄想ドキュメンタリー

 ドキュメンタリーが好きだ。『情熱大陸』、『セブンルール』、『アナザースカイ』、『プロフェッショナル』、『ドキュメント72時間』。ドキュメント番組には、紛れもない「人間」が映っている。それもフェイタルな「人間」が。致命的かつ重大な、宿命づけられたような人間が映っている。

 しかし、『設楽統の妄想ドキュメンタリー』はその逆を行く。「妄想」と銘打たれたこの番組は、その通りすべてが妄想なのだ。ニューヨークを舞台にバナナマン設楽統がドキュメンタリーに出るとしたら、という設定で番組は進む。じゃあこっちはどう楽しめばいいのかと言われてしまいそうだけれど、そこは構成が巧みになっている。だいたい45分くらいの放送時間で、前半の20分くらいは普通の旅番組として作られているのだ。タイムズスクエアに始まり、自由の女神やピザショップにステーキハウスと、いたって普通の旅番組。雰囲気は完全に『設楽統のどうでもいい旅』。設楽さん特有のゆるさと、時折見せるエッジの効いた視線。この20分がいいクッションになって、後半のドキュメンタリー、つまりは妄想が展開していく。後半の25分は言うなればひとつのコントなのかもしれない。

「オレは、設楽統を演じちゃってると思うの」

 設楽統にとって設楽統とはなんですか、という質問に対する前置きとして発せられたこのセリフは、この番組全体を言い表しているのかもしれない。多数のメディアに出演し続ける中で、一体何がウソで何が本当か、自分を見失いそうになる。一見すると設楽さんの本音が混ざっているかのように感じられるこの受け答え。しかし、重ねて言うがこれは全部ウソなのだ。純度100%のピュアなウソ。教訓なんてものは存在しない。「それっぽさ」の妙。すべて半身、いや全身ずれている。

「設楽統とは、設楽統である」

    ──「設楽統にとって設楽統とは何ですか」という質問に対して

 全く中身が、むしろ外身すらない解答に、ただ笑った。