感情の揺れ方

それでも笑っていたい

劇評:『HAMLET ハムレット』

 まず初めに断っておくと、私はこのエントリーで「シェイクスピアの『HAMLET』の批評」をするつもりはない。私が観たのはあくまでもサイモン・ゴドウィン演出、岡田将生主演の『HAMLET』であり、突き詰めれば「シェイクスピアの『HAMLET』」ではないからだ。いまや「シェイクスピアの作品そのもの」を楽しむことなど不可能だと私は思っている。そして何より、シェイクスピアの批評が、私には荷が勝ちすぎていることは明らかだろう。

 例えば『ロミオ&ジュリエット』など、ミュージカルのシェイクスピアを観たことはあっても、ストレートプレイのシェイクスピアはこれが初めてで、しかも演目があの『ハムレット』となると「果たして楽しめるだろうか」などと考えていたのだが、これが本当に失礼な話だった。もちろんこれは個人的な経験の話にはなるが、シェイクスピアなどのいわゆる「名作」を現代で上演するとなると、どうしても演出が突飛な方向に走ってしまう印象がある。過度な装飾、凝りに凝った舞台装置、全員が全員狂ってしまったかのような身振り手振り。しかし今回の演出を担当したサイモン・ゴドウィン氏は違った。彼の演出はどこまでもシンプルだった。シェイクスピアの美しくも大仰で回りくどい台詞をより際立たせるためなのかもしれない。衣装もシンプルで、各出演者の演技も端的かつソリッドだったように思う。特に舞台装置が良く出来ていた。主な舞台となるエルシノア城や宮殿のセットは盆を三等分したような形状になっていて、舞台転換はすべて盆が回転することで行われていた。そのスピーディな転換も重くなりがちな物語に速度を与えていて、観る側としては非常に良かった。集中が途切れず、物語の世界に没入することが出来た。

 さて話は変わるが、私は「クズの役が上手い役者」が好きだ。もっと言えば、「顔の良さを鼻にかけたクズの役が上手い役者」が好きだ。2010年の映画『悪人』の岡田将生は、まさにそれだった。本当にすがすがしいクズだった…。以来、彼が出演する作品はそれなりに注意して見てきたのだが、舞台に出演する彼を見るのは今回が初めて。ざっくりした表現になるが、すごかった。まずもってめちゃくちゃ美しい。なにかこう、澄み切った清流にたたずむ伝説の生物というか、美の極北に立っているというか。彼の演技力とその美貌は、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」あるいは「弱き者よ、汝の名は女」といったいわば伝説のセリフにある種の説得力を含ませていたように思う。ともすれば「何を言っているんだこいつは」状態になってしまいがちなシェイクスピアの言葉を、王子ハムレットとして、狂気を装うハムレットとして美しく、たおやかに、同時に力強く紡ぐ。岡田将生の凄味を感じずにはいられなかった。8月に控える『ブラッケン・ムーア』にも期待せずにはいられない。

 サイモン氏の演出プランというか、方向性を出演者全員が共有していることが伝わってきた。本当に気が狂ってしまうオフィーリアを演じた黒木華も重くなり過ぎない軽やかな立ち居振る舞いが光っていたし、ポローニアスの山崎一もコミカルなものだけにとどまらず幅広いキャラクターを表現していた。物語を終わらせる役目を担って最後に登場するフォーティンブラスの村上虹郎は、私が観た公演では声がひっくり返っていたがこれからに期待したい。誰もが能動的に動き、あたかも運命の扉を自ら叩くようなキャラクターが多いなかで、ホレイシオとガートルードは受け身のキャラクターと言っていいだろう。竪山隼太はハムレットを見守るホレイシオを、松雪泰子は苦しむ王妃ガートルードを、それぞれ的確に演じていた。

 なんというか、優れた演出家のもとに優れた俳優が集まると、シェイクスピアをやっても(めちゃくちゃ語弊がある)ここまで面白くなるのかと思った。シェイクスピア自体はもちろん面白いのだが、それを今現代で芝居に、特にストレートプレイにすると途端に面白くなくなるなぁというイメージがあった。しかし今回の『ハムレット』はそのイメージを完膚なきまでに叩き潰してくれた。

 繰り返しにはなるが、岡田将生にはこれからも注目していきたい。

 ミュージカルのシェイクスピアについてはこのエントリーで語っているので、良ければ読んで欲しい。

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