感情の揺れ方

それでも笑っていたい

文学フリマ金沢レポート

 さる4月20日の土曜日に、文学フリマ金沢にサークル参加した。この日のざっくりした感想は週間日記のエントリーで書いたけれど、今回はもう少ししっかりと振り返りたいと思う。私は今つたないながらも戯曲や小説を書いたりしているが、カクヨムピクシブに投稿はしていてもそれを印刷して即売会などで頒布するという経験はなかった。この文フリ金沢に参加するまでは。そもそも私が戯曲や小説を本格的に書き始めたのは一年前、2018年の春あたりになる。本来なら私は就職したり大学院に進んだりしているはずの年齢というか、そういう時期だったのだが、どうしてもやりたいことを見つけてしまったのだ。見つけてしまったというか、ずっとそこにあったはずのものから目を背けることが出来なくなってしまった。運悪く。やりたい気持ち、ないし「好き」という感情は理不尽だ。呪いに近い。

 もうどうしようもなくなってしまった私は物語を書き、公募を探して投稿し始めたが、やはり反応はよくない。そりゃあそうだ。そんなことをしている間に年が暮れてしまった。さてどうしたものかと思いインターネットをうろうろしていると、「文学フリマ」なるイベントが行われていることを知った。なんでも、「自分が文学と信じるもの」ならどんなものでも出品して良いらしい。小説、詩、俳句、短歌、etc…。これはいいと思った。正直公募に作品を送っているだけでは、リアクションがない。それがしんどくなり始めている時期だった。Twitterイラストレーターの方たちのように、物語を書いている人たちの横のつながりみたいなものに入っていってもいいんじゃないだろうかと考えていた。調べてみると、数週間後に京都で文学フリマが行われるらしい。行くしかない。イベントの雰囲気を体感してから本当にサークル参加するかを決めようと思った。当日、私は会場で予想の何倍もの熱気を感じた。これだけの人が物語を書き、それを形にして、これだけの人がそれを求めてひとつの会場に足を運んでいる。もう、参加するしかないと思った。時期、場所を考慮して私が選んだのは、文学フリマ金沢だった。日帰りで参加出来る距離、大きすぎない規模、本を一冊作れるくらいの時間。文フリ京都を見学して、その熱のまますぐにサークル参加を申し込んだような記憶がある。幸いまだ抽選ではなく先着順で参加が決まり、さぁいよいよだぞと気合を入れた。

 さてどんな小説を本にしようか、という悩みはすぐに解決した。自分が初めて書いた戯曲を小説にしようと思ったのだ。印刷会社に頼んで、しっかりした形で本にするのはやっぱり自分の処女作にしようという気持ちがあった。戯曲を小説に書き直すのはこれが思っていたより難しく、結構な時間がかかったが、なんとか出版社の早割には間に合った。初めての入稿で色々ミスをしたり、戸惑ったりしたが優しく対応していただいたしまや出版さんには心から感謝したい。本当にありがたかった。奥付やらなにやら…。会場に直接搬入してもらうプランでお願いしたのだが、一冊だけ自宅に届けていただき、それが手許に来た時の興奮は忘れられない。なんというか、本当に色々な感情が湧いては消え湧いては消え…。なんどもパラパラとページをめくっては表紙を眺め…。最終的には「本じゃん」以外の気持ちがなくなった。製本までには他にもさまざまなことがあったが、それは割愛したいと思う。主題は文フリ金沢。

 当日の4月20日を迎えるまでの10日間ほどはずっとまぶたがピクピクと痙攣していたりと、完全に体が浮足立っていた。なんなら数日前の朝食に食べたサンドイッチにあたってずっと内蔵の調子が悪く食欲が無くなっていた。コンディションとしては最悪だ。さて、文学フリマ金沢当日。朝に最寄り駅を出発し、米原から特急しらさぎに乗って金沢へ向かう。隣に座ったおじさんが厄介で嫌だった。靴を履いたままずっと足を組み替えているからいつかこっちの足に当たるんじゃないかと気が気じゃないし、当たり前のように中央のひじ掛けを占領していた。占領するくらいならまだいいのだが、自己と他者との境界が曖昧なタイプなのかすこしこっちにはみ出しているのが本当に気に障った。お前が座りなおすたびにちょっと触れあうことになる肩と肩との気持ちを考えたことがあるのか。ないだろうな。「新幹線座席倒し事前声かけ案件」より「二列席中央ひじ掛け案件」の方が問題になるべきではないか。もう真ん中にはひじ掛けじゃなくてなんか薄い板みたいなやつを付けておいて欲しい。ビジネスクラスの座席と座席の間にあるようなやつ。そんなことを考えても仕方ないので、フロイトの『精神分析入門』を読みながら到着を待った。おもしろくはない。だいたい11時前に金沢着。駅から外に出ると、あの門が出迎えてくれた。何度か金沢に来たことはあるけれど、駅は初めてだったのでもちろん写真を撮った。天気も良くて非常に過ごしやすい。駅構内を軽く散策して、どこに何があるのかを何となく把握しておいた。撤収後にあまり余裕がないので、帰りの動線をスムーズにしておきたかったから。ふんふん、と適当に見て回ったあと、会場のITビジネスプラザ武蔵へ向かった。一応マップアプリを開きながら歩いたけれど、駅から大きな道を真っすぐに歩いていくだけで到着したので非常にありがたかった。その時点でサークル入場時間までまだ30分以上あったので、同じ建物内のめいてつエムザを散策したり道を挟んだ向かいの近江町市場をぶらぶらしたり。当たり前だけどカップルが多い。金沢は全体的に観光地と観光地がそれほど離れていないので楽しみやすい印象がある。兼六園、近江町市場、ひがし茶屋街。どこも非日常的で素敵な場所だ。そんなことを考えながらぶらぶらとしていたら12時が近づいていたので、会場に戻る。参加証を見せてホールに入ると全体的にこじんまりとしていて、初めての即売会参加に文フリ金沢を選んだのは正解だったなと思った。なんというかアットホームな雰囲気だ。みんなで楽しみましょう、というか。例えばコミケなんかはもう楽しむというより生きるか死ぬかという感じで、まさに戦場である。いざ自分のブースに行ってみると、ちゃんと段ボールが置かれていた。ありがとうしまや出版さん。しまや出版さんも参加されていて、開場前にわざわざご挨拶に来ていただいた。あんな適当入稿をこんな綺麗な形にしてもらって、本当に頭が上がらない。ブースの設営というものに挑戦したのはもちろん初めてだったけれど、いろいろな気づきがあった。布は小さいものより大きいものの方が良いとか、ガムテープがあった方がいいとか、ポップはy軸の上の方向に作った方が目に入りやすいとか、いろいろ。さぁ一般会場の時間が来て、拍手をしながら迎えた。なんとも言えない高揚感だった。土曜日のお昼ということもあってかまぁまぁな数の人がスペースの前を行き交う。それを眺めながら時々「こんにちはー」と言ったりしてみる。目が合う人は多いが、見本を手に取ってくれる人はいない。まぁこんなもんだろうと予想していたので、がっかりなどはなかった。むしろずっとフワフワした気持ちで、「売れない」とかそんなことは考えつかなかった。そのまま1時間以上経った2時過ぎに、その時が来た。ひとりの方が見本を手に取り、それを置いた後「1冊ください」と言ってくれた。もうなんというのか、どんなやり取りをしたのかも記憶が定かではない。とにかく1冊売れたという記憶しかない。本当に嬉しかった。もう一生忘れられない瞬間。それからまた同じような時間が続いて、夕方にまた1冊売れた。最終的に、売れたのは2冊。2冊も売れた。自分の書いた本が、2冊も売れたのだ。見ず知らずの人に。全く知らない人がブースに立ち寄って、サンプルを手に取って、「1冊ください」と言って500円を渡してくれる。これはもうなんというか、奇跡だろう。当たり前じゃない。こんなに嬉しいことがあるか?それが2回だ。13時会場でだいたい17時半には撤収したけれど、その間に自分の本が2冊、誰かの手に渡っていった。私はこの日のことを、彼らのことを絶対に忘れない。絶対に。なんとも言えない高揚感にうかされながら宅急便の手続きを済ませ、金沢駅へ戻った。さっとお土産を買い、夕食を食べようとレストラン街をうろうろしている時に気付いたのだが、空腹が帰ってきていた。久々の空腹感だ。しかし、いかんせん時間がない。悩んだ結果、ゴーゴーカレーに入った。金沢名物の黒いカレー。チキンカツがのっているもので、800円。800円。今日手に取ってもらった本は2冊。合計で1000円が私の手もとに。自分の書いた本がカレーになっている。そんなことを考えながら食べたカレーは、なにか特別な味がした。

 カレーを食べ終えて特急のホームへ向かうとアナウンスがあった。人身事故の影響で特急に遅れが出ているとのことだった。ベンチに座って待っていると、だいたい20分遅れで目的のしらさぎがホームに滑り込んできた。最終の一本前の特急だったのが、車内はかなり空いていた。土曜日の夜にわざわざ金沢を離れるような人間は少ないのだろう。隣に座る人もおらず胸をなで下ろした。すっかり夜の帳が降り切った北陸の風景に目をやりながら今日一日のことを反芻してみる。不安に包まれていた朝、ドキドキしながら椅子に座っていた昼、本を手渡す瞬間。あの瞬間私は手を差し伸べることが出来たのだ。他でもない、教室でうずくまっていた高校生の自分に。俯いて耳を塞いでいる自分の手を取って、「大丈夫だよ」「間違ってなかったんだよ」と言って抱きしめてやれたような気がした。あのなんでもないただの500円玉が、私にとってはただの500円玉ではなかった。暗闇が滲みだして、もうどうにもならなくなったところで少し目を閉じて考えるのをやめた。この高揚感に身を包んでいようと思った。ほんの少し意識をなくした後に目覚めると、それでもまだ米原まで一時間くらいの地点だったので、今度はフロイトではなく坂口安吾を読んだ。読んだけれど、どこか集中できなくて『桜の森の満開の下』だけを読んでやめた。この感情を表してくれる言葉を探しているような感覚だった。

 私はもうやめられないと思う。