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劇評:『ファントム』~城田優の意欲作~

 「もうひとつの『オペラ座の怪人』」と称されることもあるこのミュージカル『ファントム』はガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』を原作に、アーサー・コピットが脚本、モーリー・イェストンが作詞作曲を担当している。日本では2004年に宝塚歌劇団宙組によって初演がなされ、今までに合わせて4度上演。梅田芸術劇場政策では2008年に初演、今回の上演が4度目となる。

 今回の『ファントム』で最も注目すべき点はやはり、ダブルキャストの一人として主演を務める城田優が演出も担っている、という点だろう。これまで『エリザベート』のトートや『ロミオ&ジュリエット』のロミオなど、日本ミュージカルにおいて様々な役を演じてきた彼が、以前の上演でも主演を務めたこの『ファントム』の演出をつけるというニュースは、ミュージカルファンの間で話題となった。

 実際に彼の演出による『ファントム』を見た感想をざっくり言えば、現代的かつ挑戦的な、要するに「新解釈のファントム」である、ということに尽きる。もちろんこの感想は宝塚版の『ファントム』と比較した場合に出てくる感想ではあるため、今回が初めての『ファントム』だった人にはピンと来ないかもしれない。そしてこれから書いていく詳細な感想の随所にも宝塚版との比較して語るところがある。そのあたりはご容赦いただきたい。

 観劇後に私が感じたことは、まず全体的に「歌詞が冗長である」ということだ。カンパニーが変われば同じ歌詞は使えないのだから当たり前なのだが、宝塚版とは全く歌詞が違う。その歌詞があまり好きではなかった。「Melodie de Paris」や「Where in the World」、「Dressing for the Night」に「Phantom Fugue」など、すこし説明的すぎるというか、メロディと合っていないというか、そういう印象があった。

 冗長さ、ということに関して言えば、それは歌詞だけではなく全体的な場面場面にメリハリがないようにも思った。ダンスシーンや「Hear My Tragic Story」などの曲は組み込まれていないが、上演時間はしっかり2時間30分。2018年宝塚版との比較になるが、そちらは今回の演出にはない曲や第二幕後半のフィナーレ(宝塚特有のショー・シーン)があった上で2時間30分の構成になっている。もちろん出演者の人数や舞台機構など単純には比較出来ないし、無条件に宝塚版の方が良いというわけではないが、すこし気にかかった。

 演出で印象的だったのは、光、つまり照明の使い方。一つの舞台を照明で分断する、例えば上手半分は明るく、下手半分を暗転させておくことで素早く舞台転換を進め、エリックによるクリスティーヌへのレッスンが日に日に進行していることを表現しているのはリズム感があって良かった。他にもプロローグの「My Melodie de Paris」でも明るい雰囲気の照明と暗く怪しい雰囲気の照明を素早く切り替えることでパリ、特にオペラ座の光と闇をおどろおどろしく表現しているのも現代的だったように思う。あとは些末なことだが、ビストロでクリスティーヌがオペラ座の契約を勝ち取った後、シャンドン伯爵と踊るシーンが映画『ラ・ラ・ランド』っぽいなと感じた。めちゃくちゃ私の勝手な想像だけれど。この場面ではクリスティーヌとシャンドンが最終的にキスをする。つまりこの時点で二人はそういう仲になるのだが、それは城田優の大きな挑戦というか、こだわったポイントだと思う。なぜなら、クリスティーヌとシャンドンが通じ合うことで、物語全体の構図が「エリック‐クリスティーヌとシャンドン」というものになるからだ。例えば宝塚版では、この場面でクリスティーヌとシャンドンがキスをすることはない。むしろ二人はどこかかみ合わないくらいだ。

 

シャンドン『嘘じゃない本当に 君は最高なんだ 

      歌声もドレスも 誰もが虜さ

      あの時街角で 出会ったばかりなのに 

      今夜はこの手に触れているなんて

      不思議な胸のときめき 見つめればまぶしいばかりさ

      いつのまにか君は 

      美しいレディに姿が変わっているから

      思いもかけずに 僕は恋をした気持ちさ

      クリスティーヌ 君のすべてに 

      心を奪われ 君に夢中なんだ

      町の明かりも ふたりに 微笑み瞬く 

      高鳴るこの胸は きっと新しい恋の始まり』

     「君を一目見た瞬間から本当に本当なんだ」

クリスティーヌ『とても嬉しいわ でも夢を見ている心地よ』

 シ「嘘じゃない」

 ク『本当に信じられない 体が震えているの」』

 シ『クリスティーヌ 心ときめき』

 ク『本当に夢じゃない オペラ座で歌うのよ』

 シ『君に恋をしてしまった 夢中なんだ
   信じて欲しい 僕のこの気持ち』

 ク『現実ね 主役を歌う』

           2018年雪組公演『ファントム』より

  クリスティーヌの心にはずっと「オペラ座で歌うこと」がある。今回の『ファントム』ではこの時点でクリスティーヌとシャンドンがそういう仲になるため、どちらかと言えば『オペラ座の怪人』のような、クリスティーヌとシャンドンの恋物語にエリックが介入してくる状態になる。挑戦的あるいは新解釈、というのは、この点だ。

 そしてもうひとつ、城田優の演出に挑戦的な部分がある。それはエリックというキャラクターの造形だ。今回のエリックは何というか、ものすごく幼い。それもピュアとかイノセントとか、そういうことでなく、ただ単に成熟していないという意味の幼さがある。話し方はおどおど、背筋は曲がり、覇気のかけらもない。生まれた時からオペラ座の地下で育ち、外に出たことはなく(森以外)、コミュニケーションの相手は従者とキャリエールだけ。そもそもこの『ファントム』における「怪人」であるエリックは、とても人間的な存在だ。『オペラ座の怪人』との最も大きな違いはそこにある。「人間エリック」の人生、葛藤、そして愛。それがこの作品の大きなテーマなのだ。その「人間らしさ」を城田優という演出家は今までとは違う方向から捉えた。それが今回の『ファントム』の、ある意味で「陰気な」エリックということなのだろう。宝塚版と違いビストロの場面でもタイターニアの場面でもエリックが現れないのは、エリックをなるべく外に出したくないからなのかもしれない。2018年の雪組公演で望海風斗がエリックを演じた時に表現していた、「ピュアゆえの狂気」とでも言うべき雰囲気を今作のエリックは纏っていない。人間くさいとでも言うのか、そういう存在になっている。

 最後に気になったのは、城田優の歌。私が観たのは大阪公演だったが、疲れが出ていたのか、あまり声が出ていなかったように思う。特に「Where in the World」の、歌い上げるような箇所に押し出しが足りなかった。それすらも演出の一環という可能性はあるけれど、いつもより調子が悪いのかなというのが正直な感想である。

 ここからは個々の出演者にフォーカスしたい。

 まずはダブルキャストでクリスティーヌを演じた愛希れいか。長らくトップ娘役を務めた宝塚を退団し、『エリザベート』でのタイトルロールが記憶に新しい。私は『エリザベート』を観られていないので今作が退団後の彼女を観る初めての機会だったのだが、娘役時代よりもパワーアップしているように感じた。娘役特有の歌唱法ではなくなる影響はどうかなと思っていたが、むしろ退団後の方がより力強くなっている印象がある。ベラドーヴァでのダンスはもちろん素晴らしいパフォーマンスで、『フラッシュダンス』への期待が高まる。

 カルロッタ役のエリアンナは鮮烈な歌唱を見せていた。その夫であるアラン・ショレを演じていたのはエハラマサヒロだが、見ている間は「彼がエハラマサヒロである」ということを忘れさせるような公演で、語弊はあるが予想外だった。違和感なくミュージカルを演じる力があるというのは、素直にすごい。そう多くはない出演場面とセリフの中で印象の残っているのは、ジャン・クロード役の佐藤玲。不思議な存在感のある役者だなと思っていたら今作が初のミュージカルということだったので、これからの動向に期待したい。