感情の揺れ方

それでも笑っていたい

2018年花組公演『MESSIAH─異聞・天草四郎─』~原田諒の挑戦~

 宝塚歌劇団にはすみれコードというものがある。コードという名前の通り、これはある種の「暗黙のルール」であって、劇団だけでなくファンも守るべきものということになっている。例えば組子の本名や年齢が公表されることはない。そして「すみれコード」は組子に関することだけではなく、作品の内容や演出にも及ぶ。「夢」を描く宝塚の作品では、主に「政治・宗教・セックス」といった事柄は避けられるようになっている。もちろんそういうシーンは普通に描かれるし、二次大戦前後を描く作品ではナチズムが主題になることも少なくない。ただそれは、特に後者に関してはあくまでも物語を進めるための舞台装置のような役割でしかなかった。政治や宗教を主題にした作品はやはり多くはない。しかし、2010年代の後半、100周年を迎え次の100年を見据える宝塚にあって、その「タブー」に真っ向から挑もうとする演出家がいる。原田諒だ。

 短い宝塚ファン歴の中で、私の彼に対する印象は『南太平洋』や『20世紀号に乗って』などの海外ミュージカルの潤色・演出、そして和物のショー『雪華抄』だった。だが、この数年、2つの作品を観たことで原田諒という演出家に対するイメージは変わった。まず、2017年星組公演『ベルリン、わが愛』。これは「ナチスの政治に翻弄される若者たちの愛」を描いた作品で、宝塚歌劇でありながら「ナチズム」、「ユダヤ人差別」を真っ向から扱った意欲的な作品だったように思う。ヒロインのジル・クラインはユダヤ人で、最終的には主人公のテオ・ヴェーグマンとパリに亡命をするのだが、そのシーンはどうにもならない若者たちの抵抗、反抗、そして希望を描いた非常に良いシーンだった。劇場を出て、宝塚にしてはかなり攻めた内容だったなと感じたことを覚えている。宝塚、結構変わってきているのかもなぁと。

 その感覚が確信に変わったのは、『MESSIAH』を観劇した後だ。原田諒が、今度は「宗教」に正面から挑んだのである。「天草四郎」を主人公に据えて。厳密にいえば、「宗教」ではなく「信仰とはなにか」という主題を描いたのが、この作品だ。しかし私は、その姿勢はともかくとして、この作品を作品として評価することは出来ない。出来ないというか、したくないという感情が強い。彼らの、隠れキリシタンの信仰の描き方があまり好きではないのだ。私がそう感じる理由は、このセリフに端的に現れている。

四郎「命あるものを救えてこその神ではないのか!」

 この言葉と、この言葉に島原のキリスト教徒たちが感銘を受け、彼を指導者に据えて一揆を起こすという流れがあまり腑に落ちない。「命あるものを救えてこその神ではないのか」。いや、違うだろう。少なくとも島原の民が帰依するキリスト教の神は、そういう存在ではないはずだ。飢饉を凌ぎ、圧政に耐え、それでも信仰を捨てない隠れキリシタンたちが、キリスト教徒ではない(この物語の中では)ただの海賊崩れの男が放ったそんな言葉にそれほど心を揺り動かされるだろうか?それこそ今までの、生まれついての信仰を捨てるほど。キリスト教の教えに反旗を翻した男を首領にしたことで、一見宗教的な反乱であるこの一揆はその実ただの農民一揆になってしまったように私には感じられた。しかし物語の中では、この一揆キリスト教徒の反乱として描かれている。クライマックスに浮かび上がる大きな十字架はその証拠だろう。そして何より、犠牲となった彼らは最終的に「ハライソ」へとたどり着いているのだ。島原の民は結局キリシタンであったのか、そうではなかったのか?あくまで私には、どっちつかずに感じられた。「信仰に付随する狂気」のようなものを描くには、宝塚は不向きなのかもしれないけれど。一揆の敵が松倉勝家から徳川幕府になり、正義と悪という構図が滲んでいったところはとても好きだった。作品全体としてはこのような感想になるが、この作品の功績はとても大きいと思う。それも、時間が経つにつれてどんどん大きくなるだろう。宝塚でもこういう作品をやっていいんだ、と思わせたことが持つ意味は、観る者にとっても創る者にとっても大きいはずだ。

 ここからは、出演者個人個人にスポットを当てていきたい。まず、主役の明日海りお。持ち前の演技力で、天草四郎という難しい役を的確に演じていた。史実通りの造形ではないキャラクターを演じるにあたって困難な点は多くあったと予想されるが、そこはこれまでの経験を活かしたのだろう、さすがのパフォーマンスだった。そして、リノを演じた仙名彩世。『邪馬台国』、『ポーの一族』に続いて、トップ娘役としては3本目になるが、彼女のもつ安定感はすさまじい。「宝塚のヒロイン」をここまで的確に演じ切ることが出来る娘役は現状いないだろう。このエントリーを書いている時点で彼女はもう退団しているが、本当に稀有な存在だった。彼ら以外に特筆すべきは、やはり松倉勝家役の鳳月杏だろう。月組から花組に組替えしてからというもの躍進著しい男役だが、この作品での舞台さばきもすばらしいものがあった。善人が多いこの物語のなかで、どうしようもない悪である松倉が際立っていた。同じく悪人としては、松倉の部下である田中宗甫を演じた天真みちるの演技も光る。彼はこの作品で宝塚を退団したのだが、まだもうちょっと出来るんじゃないのかと思わせるパフォーマンスだった。天真みちるのような、実力がありなおかつ器用な演者というのはあまりいない。そして、特有の華。非常に素晴らしい男役だったように思う。そして最後に、松平信綱役の水美舞斗。彼がもつ清廉な雰囲気が、静謐で凛とした松平信綱という人間にとてもマッチしていて良かった。『邪馬台国』でも感じたが、ダンスが取りざたされることの多い彼の武器は、その実演技力なのではないかと私は思う。