感情の揺れ方

それでも笑っていたい

劇評:ミュージカル『キューティ・ブロンド』

 もう2ヶ月ほど前になるが、梅田芸術劇場でミュージカル『キューティ・ブロンド』を観劇した。もともとはハリウッド映画をミュージカル化したもので、日本での初演は2017年。その時からかなり評判が良く、もし再演があるなら観に行きたいと思っていた作品である。実際、主演の神田沙也加はこの作品で2017年の菊田一夫演劇賞を受賞し、ミュージカル女優としての地位を確立した。これは個人的な印象の話にはなるが、やはり「松田聖子の娘」というイメージがついて回っていた彼女が、ただ一人の俳優として注目されるようになったのは『アナと雪の女王』のアナ役だったと思う。この映画の大ヒットをもって神田沙也加の名前は一躍広まり、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』や『1789』といった名作ミュージカルへ立て続けに出演していった。そして『キューティ・ブロンド』で彼女は押しも押されもしない俳優になった、と私は感じている。

 なんというか、この『キューティ・ブロンド』は彼女の魅力にとてもフィットした作品だ。舞台俳優としては小さい身長と、彼女が持ち合わせているキュートな雰囲気が、エル・ウッズというキャラクターを通して表現されると、舞台の上でキラキラと輝き出す。そして神田沙也加の積み重ねてきた実力が、この作品を非常に上質なエンターテインメントにしているのである。

 あらすじはざっと以下の通りだ。

 

オシャレが大好きでブロンドが印象的な女子大生エルは、学生寮デルタ・ヌウで友人達と自由に楽しく暮らしている。だがある日、婚約間近だった彼氏のワーナーに突然振られてしまう。その理由は、「上院議員を目指す自分の妻としてブロンド娘はふさわしくない」という一方的な決めつけによるもの。納得がいかないエルは、一念発起して猛勉強の末にハーバード大学のロー・スクールに見事合格する。

 しかし、ブロンドでピンクのファッションに身を包むエルは学内で目立つ存在となり、黒髪の美女ヴィヴィアンをはじめ、クラスメイトたちから批判は浴びてしまう。しかもワーナーはヴィヴィアンと婚約してしまったという。だが、その逆境がエルのやる気に火をつけ、一人前の弁護士を目指して奮闘を始めていく。

 尊敬すべき先輩エメットやヘア&ネイリストのポーレットらと知り合い、外見も中身も磨きを掛けたエルは、大学の教授でもあるキャラハンの弁護士事務所でインターン生として働き始める。そこで担当することになったのは、デルタ・ヌウの先輩でもあるブルックに関わる裁判。果たしてエルは彼女の容疑を見事に晴らし、一人前の弁護士になることが出来るのだろうか──

  そして出演者は以下の通り。

 神田沙也加・・・エル・ウッズ

 平方元基・・・エメット・フォレスト

 上原卓也・・・ワーナー

 樹里咲穂・・・ポーレット

 新田恵海・・・ヴィヴィアン

 木村花代・・・ブルック

 長谷川初範・・・キャラハン教授

 まりゑ・・・セリーナ

 美麗・・・マーゴ

 MARIA-E・・・ピラー

 武者真由・・・イーニッド

 他:青山郁代・折井理子・濱平奈津美・山口ルツコ

   上野聖太・高瀬雄史・棚橋麗音・古川隼大

 演出・上田一豪

 

 先述したように、この作品はもともと2001年制作のアメリカ映画だ。そしてそれが2007年にブロードウェイでミュージカル化された。主人公はブロンドの女の子で舞台は名門ハーバードのロー・スクール、もちろん登場人物はみなアメリカのいわゆるハイ・ステイタスな現代の人々。そんな作品を日本で上演するとなると、やはり障害が多い。

まず、「ザ・アメリカ」なキャラクターを日本人が演じて説得力があるのか、という問題がある。少しでも失敗すれば、作品全体が滑稽で退屈なものになってしまう。そして原作映画が日本でもヒットした以上、エルというキャラクターのイメージはすでに観客にも植えつけられている。それを舞台で表現するにあたって、既成のキャラクター像を打ち破ることが出来るかも大きな問題だ。しかし神田沙也加はそれらの問題を、見る側にとってはいとも簡単に、クリアして見せた。名作で培ってきた演技力、存在感。和製エル・ウッズの誕生だ。華やかさ、かわいらしさだけではなく、ともすればうすら寒くなってしまう可能性すらあるアメリカンジョークですらも親しみやすく、日本人にとっても笑えるものにしてしまうコメディセンスまで神田沙也加は持ち合わせていた。これはまさしく神田沙也加の当たり役と言っていいだろう。神田沙也加の神田沙也加による神田沙也加のためのミュージカル。それがこの『キューティ・ブロンド』だ。

 ともあれ、このミュージカルを支えているのはもちろん神田沙也加だけではない。なにより演出の上田一豪の手腕が大きいだろう。劇場の規模を考えても簡素に感じるセットはおそらくエルやデルタ・ヌウの面々、そしてポーラやブルックといったキャラクターのダイナミックな動きを際立たせるためのものではないだろうか。まずもって「神田沙也加を主演に『キューティ・ブロンド』をやろう」と考えたことがすごいのだけれど。演出で印象に残っているのは、エルの友人たちであるデルタ・ヌウのメンバーたちをどう動かすかという点だ。デルタ・ヌウはエルがハーバードに入学する前に通っていた大学の社交クラブで、作品の舞台がハーバードに移って以降はほとんど出番がなくなってしまう。実際、映画でもエルの友人が登場するのは序盤と最終盤くらいだ。ならいわゆるモブとして舞台を賑わわせればいいじゃないかと考えても、序盤の登場シーンにおける印象が強く、そこが観る側にはちょっとしたノイズになってしまう。事実、この作品の一番最初の場面は美麗演じるマーゴのソロから始まり、デルタ・ヌウメンバーのコーラスに繋がっていく。ではその問題はどう解決されたのか。答えは簡単で、「コロス」として登場させたのだ。「コロス」とは、その起源をギリシア劇にまでさかのぼり、「ストーリーの本筋からは離れて、コーラスの役割や狂言回しの役割を担う演者」のことを言う。有名な例を挙げれば、『エリザベート』のルイジ・ルキーニはあの作品の狂言回し、コロスということになる。『キューティ・ブロンド』におけるコロス演出の何が私にとって斬新で印象的だったのかというと、上田一豪はコロス役の俳優たちに「私たちはコロス!」と言わせたことにある。「私たちはコロス」。すごいセリフではないか。自分の名前を名乗らせるのとはわけが違う。 

エル「みんな!」

 コロスたち「いいえ、私たちはコロス!あなた以外には見えないわ!」

  うろ覚えで申し訳ないが、たしかこんなところだった思う。衝撃的なセリフだった。そうだ、言わせていいよな。これはそういうセリフがあって何も問題ないミュージカルだ。妙に納得してしまった。コロスだって言ってんだからコロスだよなと。あれはマーゴでもピラーでもなくコロスだと、スッと腑に落ちる感覚があった。

 次に、演出から演者に話を移そう。エルを捨ててしまうワーナーを演じる上原卓也は、家柄に固執し野望を持ちながらもそれほど嫌味ではない三枚目を上手く表現していた。ワーナーが「本当に嫌な奴」になってしまうと、この作品は一気に湿っぽくなってしまう。ワーナーは「取るに足らない小物」でなければならない。エルやヴィヴィアンにとって、最終的には道端の小石くらいの存在にならなければならない。その辺りの演技が良かった。

 木村花代や樹里咲穂といった、脇を固める名俳優の力も、この作品を成立させるためには必要不可欠だったように思う。劇団四季宝塚歌劇団、そしてその後の舞台生活でそれぞれが積み重ねてきたものが存分に発揮されていて、なんというか安心感がある。

 そして、個人的に応援しているマーゴ役の美麗の舞台をようやく観劇できたことが嬉しかった。彼女はとても印象的なヴィジュアルをしているのだが、そこに留まるだけでなく歌にもダンスにも十分な実力がある。私としてはこれからもどんどん舞台に出て欲しい。

 唯一気にかかったのは新田恵海。やはり声優としてのキャリアが長いせいか、舞台俳優に交じって舞台で演技をすると違和感があった。言葉では表しにくいが、「声の演技」が強すぎるような気がした。これは難しいところで、おそらく「出演者が全員声優の舞台」なら気にならないのだと思う。周囲が「舞台の演技」をしている中で一人「声の演技」をしていたせいだろう。新田恵海だけが、その場で浮いていたような印象を受けた。決して演技が下手とかそういうわけではなかったが…だからこそかもしれない。

 全体としては本当に楽しく笑って観られる作品で、とても良かった。もし再演の機会がまたあるなら絶対に観たいと思う。

 最後に。エルの飼い犬であるブルーザーとして本物の犬が舞台に登場するのだけれど、その犬がめちゃくちゃ可愛くて、そしてめちゃくちゃ賢かった。