感情の揺れ方

それでも笑っていたい

映画評:『リズと青い鳥』

 更新頻度を上げていきたいというのはちょっとしたレトリックです。前回の更新から結局2ヶ月近く間隔が空きましたが、この間には映画も観てなければ観劇にも行っていませんでした。いかんせん懐に余裕がなく、という感じで。

 久しぶりに観た映画は山田尚子監督の『リズと青い鳥』です。『聲の形』のスタッフが再集結した作品で、『響け!ユーフォニアム』の映画作品になっているんですが、私はアニメ版を視聴したことがありません。しかし、Twitterでの評判の良さや友人の勧めもあって、軽く登場人物のバックボーンを調べてから映画館へ足を運びました。結論から言うと、感想を表現するのがめちゃくちゃ難しい作品です、これ。おそらく、「何が起こっているのかわからない」とか「派手なシーンがない」とか、そういう印象を持つ人も山ほどいるだろうと思いました。モノローグは一切使用されず、分かりやすいセリフは少なく、キャラクターが激しく動くようなシーンもない。劇中で言及され続ける高校生活最後のコンクールも描写されるわけではない。ストーリーの骨子である童話『リズと青い鳥』もメーテルリンクのあの作品そっくりそのままではない。同じ作品を同じ時同じ場所で観ていても、まるで全く別の作品を観たかのような感覚になる。そういう作品です。

 あらすじは、次の通りです。

  ″鎧塚みぞれ 高校3年生 オーボエ担当。

  傘木希美 高校3年生 フルート担当。

  希美と過ごす毎日が幸せなみぞれと、一度退部をしたが再び戻ってきた希美。

  中学時代、ひとりぼっちだったみぞれに希美が声を掛けたときから、

  みぞれにとって希美は世界そのものだった。

  みぞれは、いつかまた希美が自分の前から消えてしまうのではないか、

  という不安を拭えずにいた。

  そして、二人で出る最後のコンクール。

  自由曲は「リズと青い鳥」。

  童話をもとに作られたこの曲にはオーボエとフルートが掛け合うソロがあった。

  「物語はハッピーエンドがいいよ」

  屈託なくそう話す希美と、

  いつか別れがくることを恐れ続けるみぞれ。

  ずっとずっと、そばにいて。

  童話の物語に自分たちを重ねながら、日々を過ごしていく二人。

  みぞれがリズで、希美が青い鳥。

  でも。

  どこか噛み合わない歯車は、

  噛み合う一瞬を求め、まわり続ける。“ (『リズと青い鳥』公式HPより)

 

 みぞれにとっての希美は、まさしく幸せを運んできた青い鳥であり、世界のすべてであり、オーボエを吹く理由そのものです。音大に進むのかどうか、という進路の問題でも「希美が決めたことは私が決めたこと」だと、言い切ります。希美はみぞれの存在理由であり、行動原理。では、希美にとってのみぞれはどのような存在なのか。それは、あの童話でいうところの「リズ」に他ならない。希美はそう思っています。そして、希美はみぞれのことを自分より下に、言うなれば自分がいなければ仕方ないような、手のかかる妹のような存在だと思っている。だからこそ、希美以外の人間には素っ気ない態度を取るみぞれとの交流に不安を感じた後輩からの相談を、「みぞれには不思議なところがあるから」という一言で済ませてしまう。もちろんこのやり取りには、みぞれの感情、パーソナルな部分に対する希美の不理解だけでなく、自分以外の人間とみぞれが親密になることへのやんわりとした拒否感も表現されていると思います。「他の人も誘っていい?」というみぞれの発言は、希美にとって不意打ち以外の何ものでもない。なにより、「希美との接点だから」という理由だけでみぞれが続けてきた吹奏楽を、みぞれに相談することなく一度辞めてしまったこともある。このような、いわば希美がみぞれを支配するような関係は、しかしなのかやはりなのか、噛み合うことなく進んでいきます。2人の歩調は合わず、足音はいつもバラバラに聞こえてくる。「リズと青い鳥」第三楽章の掛け合いも精彩を欠き、後輩にさえその不出来を指摘されてしまう。

 このフルートとオーボエ、希美とみぞれの掛け合いを巡って、2人の支配-被支配の関係に変化が訪れます。みぞれは進路調査票を白紙で提出し、先生に音大進学を進められたが、進路を決定したのは希美が同じ大学の受験を考えているからでした。しかし実際には、希美も進路調査票を白紙で提出していたのに、音大への進学を進められることはなかったのです。ここで希美の胸中にはさまざまな疑念が浮かび上がる。本当に自分は音大に行きたいのか?それほどの才能は、実力はあるのか?あるとしたら、なぜ先生はみぞれにだけ大学のパンフレットを渡したのか?この掛け合いで足を引っ張っているのは自分ではないのか?もしそうなら、自分は本当にリズではなく青い鳥なのか?と。対してみぞれも、「私がリズならカゴを開けることはない」と強く思っていたが、そうすることが青い鳥の、希美の可能性を奪い、苦しめているかもしれないことに気づく。愛する者のためには、ともに過ごすだけではなく解放しなければならないこともあると、今までの自分の考えとは違った愛のあり方にたどり着く。この境地に至ったみぞれのオーボエは今までにない完成度を見せ、部員だけでなく指導者にも衝撃を与えた。青い鳥は希美ではなく、自分だったのだ。みぞれの演奏を聞いた希美は「今までわざと私に合わせていたのか」と憤るが、2人は互いの思いを伝えあって、最後のコンクールへ向かって歩んでいく。

 物語が終わったあと、私はまず「残酷だな」と思いました。先生がみぞれにだけ音大進学を進めたという点もそうですが、クライマックスの希美とみぞれが抱きしめあってお互いの好きなところを言い合う場面がその最たるものではないかなと。みぞれは、のぞみの好きなところをいくつもいくつも、力強く述べていきます。みんなの中心にいるところ、話し方、髪。けれど、希美は、ただ一言「みぞれのオーボエが好きだよ」と。そう言います。リズが希美で、青い鳥がみぞれなら、カゴを開ける理由はみぞれのオーボエに対する希美の愛なのです。このセリフは、本当に重い。みぞれは、この愛にずっと応えていかなければならない。この一言がみぞれにとってオーボエを続ける理由になるのだと思うと、むしろ呪いにすら近いセリフに感じます。

 物語が進んでいく中で、希美とみぞれの関係はすっかり転倒してしまう。そのような「関係の一変」を示唆するシーンがいくつかあって、まず冒頭の、希美がみぞれに青い羽根を渡すシーン。「青い鳥は私ではなくあなたなのだ」という比喩。そして、これも残酷なシーンだなと思った、後輩の剣崎が希美に茹で卵を手渡すシーン。冒頭で青い羽根を自分から他人に手渡した希美に、茹でられて中身の固まった卵が渡される。こんなにも端的で、凄惨な表現があるのか。

 希美とみぞれの、言うなれば互いの互いに対する依存や、愛とも取れる憎しみに似た感情がないまぜになった関係は、きっとこの物語が終わった後も続いていくのでしょう。この作品に関して、友人と自分だけでなく、友人とその友人との関係、自分の未来だけではなく友人の未来までも気にかけて、勝手に考えて勝手に憤ってしまうような登場人物たちの性質をもって「女らしい」といった評価を投げつけるような人もいるのだろうと思います。でも、私はそういう簡単で陳腐な言葉でこの作品ないし若者の鬱屈した感情を表現したくない。そう思わせる作品です。